江戸時代から繋ぐ糸操り人形と写し絵/平井航さんによる糸操り人形と写し絵の公演「黒髪/夢十夜 第一夜」

開演を告げる挨拶が終わると、糸操り人形遣いの平井航さんが、舞台となる8畳の和室に入ってきて、中央に置かれた人形を静かに動かし始める。久東寿子さんによる出だしの唄と三味線がさびのある響きで鳴りだし、張り詰めていた客席の空気を破る。一つ目の演目は糸操り人形が舞う地唄舞「黒髪」だ。

黒髪の むすぼれたる思ひをば~

平井さんに操られる人形は、女の情念の込められたこの唄に合わせ切々と舞う。人形が命を吹き込まれ感情を持って演じているようだ。

演奏の久東寿子さんは、箏演奏家。国内外で幅広く演奏活動をしている方で、これまでに何回か平井さんと一緒に舞台を作ってきた。

「緻密な動きで人を感動させる糸操り人形は、日本の誇れる文化の一つ。人形が舞っている姿を思い描きながら練習し、人形が動くのに必要な緩急を大切に、たっぷりゆっくり動きを感じ取りながら演奏しています」と語る。

二つ目の演目は夏目漱石の短編集「夢十夜」の第一夜。これは「糸操り」と「写し絵幻燈」というもので演じられ、色鮮やかで幻想的な写し絵が、人形遣いと同時に写し絵師である平井さんの操作により、正面だけではなく、後ろの壁、天井、床に移動しながら映し出されて物語が進められた。

公演が行われた場所は、文京区千駄木3丁目団子坂上付近の、「国登録有形文化財島薗家住宅(通称島薗邸)」で、建物も見たいということもあるのか、チケット発売後1週間で、各30席の2ステージは完売した。

多くの人にとってあまり馴染みのない「糸操り」「写し絵」とはどういう芸能なのか、遣い手の平井航さんからお話を伺った。

「糸操り」技術は風前の灯

まず、いつ頃から始まったものなのだろうか――。

「『糸で操る人形』は、江戸時代の初め頃から様々な形のものがあった」という。残念ながら詳しい記録は残っていない。「一番知られているのは『南京操り』と呼ばれたもので、玩具としても売られていたほどだが、説教節の衰退と共に姿を消した」と平井さんは言う。「私の遣っている様式が幸運にも平成の終わりまで生き長らえることができたのは、一つには、他のものより感情表現に優れた仕組みを持っていたから」と平井さん。「とは言っても、この『糸操り』の技術を引き継ぐのは、全国でもおそらく30人程度・・・もはや風前の灯です」と顔を曇らす。

一方「写し絵」は、染物の上絵師の家に生まれた亀屋熊吉という男が、1800年頃、上野広小路の見世物小屋で、幻燈機を手で持ち歩きながら絵を投影する技を考案したのが始まりだとのこと。

幻燈機は桐製の箱で、種油に灯芯の光源が集光レンズを通ってガラス板に描かれた絵を通過し、凸レンズでピントを調整され、スクリーンに投影されるという仕掛けだという。「映像文化の発展に伴い衰退していったが、今でも上演する劇団がいくつかある。懐かしくもあり、まだまだ新しさを秘めた芸能だ」と平井さんは思っている。

人形一体一体の個性と対話

平井さんご自身はいつ「糸操り」や「写し絵」に出会ったのだろう。

「学生時代は建築の勉強をしていましたが、建物に関連して、文化についても学ぶようになった」という。「お能の謡と仕舞のお稽古を始めたことが一番はじめに触れた芸事」とのことだ。その1年ほど後に観客として「糸操り」と出会った時、とても面白い表現方法だと思い、実際に操ってみたいと思ったという。

「大学を卒業後10年ほど、ある劇団で修行をさせていただいた。そこで人形芝居と写し絵芝居の基本を身につけたが、実は、教わることは少なかった」

「というのは、人形は一体一体個性があって、細い糸で操るので、ほんの少しの重さやバランスの違い、衣装の生地の硬さまで大きく影響する。繰り返し繰り返し稽古しながら、ものと対話しながら、感覚を掴んでいくほかはありません。人形や道具全てを自分で作ることが出来ると、この対話がより繊細にできるような気がします」と平井さんは熱心に語る。

ということは、舞台で操った人形も、道具も、写し絵やその機材も全部手作りなのかな。

「手作りです。風呂(写し絵の幻燈機)は1週間もあれば2、3台は完成させることができ、人形の方も、胴体や手板(操作板)はそのくらいでできる。ですが、頭や手足は、そうはいかない」。納得がいくまで延々と彫ったり塗ったりを繰り返し、衣装も動かしやすいように何度も着せてみては微調整し、長いときは数年かかるという。

「写し絵も、種(絵)は、写してみるまで本当の姿はわからない。絵に光を通したり、体を使って動かすことで、思いがけない姿が次々と現れる。絵に込めた思いと外側にあるものとの間を往復しながら描いていく。とても長い時間がかかりますが、最も面白い作業です」

風と共に感情吹き込む

平井さんの、糸操り人形と写し絵へのこだわりは何だろう。

「ただの歩きであれ、舞踊であれ、まずは自分自身が出来るようになってから人形に移す」ということを大切にしているという。「人形は出来る限り古い方法で作る」ということも。「人形は膠で接着をすれば、修理や微調整のときに、容易に剥がすことができる。一つの『もの』に長く付き合いながら、その癖や個性を見極められる」と思っている。写し絵の風呂も膠と竹釘で組み上げている。

平井さんが今後やろうとしていることは何か。

「『糸で操る人形の原点』は、『糸で吊られた』人形だと考えている。では、この人形を動かすのは誰かというと、風であり、空間に満ちた名もない神様で、これを『神様の口付け、神付け』というそうです。空気が動いて人形が微かに揺れることで、何者かの存在を知らせる。もちろん私は感情を込めて人形を操っているのですが、糸で操るからには、どこからか風と共に感情を吹き込む、芸能の始まりというのはそういうものであったと思い、そんな糸操り人形遣いになることを夢見ています」

昨年から森林整備の仕事に携わるようになった。「森から人形の材料を貰うことからはじめて、芸能までを繋ぎたい。この先何年もかけて取り組んでいきたい」と語った。(文・稲葉洋子、写真・ふじきゆみこ)