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鳥がさえずり、かっぱも出没!?由緒正しき須藤公園

千駄木は、まちの名前の通り、木がいっぱいの地域だ。旧町名は、駒込林町。当時、千駄木町はもう少し東までで、町名変更の時、千駄木に含まれるようになった。林町だから、千駄木町より少し木が少ないのだろうと勝手に推測していたが、どうなのだろうか。

「須藤公園」は千駄木3丁目の斜面にある。東京メトロ千駄木駅の裏側と、斜面の上の路地に出入り口がある。下側は不忍通りのすぐ裏手のため、ビルや店が多いが、上の入り口の周りは閑静な住宅街。由緒ありげな木造の家。ひと昔前のどっしりとしたデザインのコンクリの住宅。目を楽しませてくれる近代的な建物が混在していて、まちぐるみの歴史が感じられる。須藤家も2軒。以前は「須藤」の表札はもっとあったような気がしたが、減ったのだろうか。気のせいか。

「江戸時代、この地は、江戸の郊外にあたり、加賀金沢藩の支藩である大聖寺藩の下屋敷でした。屋敷は閑静で敷地も広く、後ろに弥生岡をひかえ、前には遠く東京湾を隔てて房総半島の山々が望まれるなどの景勝の地でした」。公園入口の掲示板が解説してくれる。

「庭園の規模はさほど大きくはありません、起伏に富んだ地形を巧みに活かした回遊式の大名庭園が造られ、今日でも当時の大名の気風を偲ぶことができます。池泉内には、約三十坪(約100㎡)の中ノ島があり、古くから弁財天の祠堂が祀られ、燈篭と玉石敷きの州浜が風趣をそえています」

明治維新後、長州出身の政治家、品川弥二郎(1843~1900)の邸宅となり、その後明治22(1889)年、実業家の須藤吉右衛門に買い取られ、庭園は須藤家屋敷の一部として、大名庭園の旧態を損なわないよう保存された、という。「昭和八年(1933)須藤家から公園用地として、東京市に寄付され、市は散水の補修と公園として必要な施設等の整備を行いました」。文京区に移管されたのは昭和18(1943)年。区は池や滝などの改修を行い、区民に親しまれ活用される公園とするために造園を行ったという。公園名は、須藤家の厚意を伝えるため、名付けられたそうだ。

上の入り口から少し階段をくだると遊具のある平地があり、そこにアスレチック風の遊具などがあり、幼児親子の遊び場となっている。園内は木や草花が多い。

平成30年7月12日に改修後再オープンして、木の数が減ったと嘆く声も聞かれるが、歩きやすく見通しもよくなり、安全面が強化された。遊具の広場からさらに階段を下ると、左手奥に落差10mの木々に囲まれた「須藤の滝」があり、日中は水が流れ涼を呼ぶ。

木々や草花の間の小道をくだってゆくと、小高い丘を越えて、池へおりてゆく階段が続く。池の前は、下側のフェンスに沿って、広場があり、夏は近くの町会が合同で野外映画会を開催したり、いろいろなイベントが行われている。ぐるりと池をめぐり、弁財天が祀られている中ノ島へ鳥居をくぐって道が続く。

須藤公園の近辺を歩いていると路地のあたりからウグイスの声を聴くこともあり、サギが飛ぶのを見ることもある。木の多い環境だけでなく、不忍池や東京大学の庭の影響もあるのか、鳥が多く、いい音色でさえずっていて嬉しい。

さて、この公園の特長としてあげるのに一押しとしたいのは、なんといっても、「ザリガニ釣り」。休日ともなれば、親子連れや子ども同士がバケツや釣り網を持って三々五々集まり、ザリガニを探すのに無我夢中。「かっぱに注意」看板のそばで、親子一緒に、友達と一緒にへのかっぱで、手すりから池に身を乗り出してザリガニ捕りに興じる姿がほほえましい。落ちないように気をつけてね。(稲葉洋子)


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