千石に3丁目に「コドモカフェ&オトナバーTUMMY」(過去記事参照)をオープンした橋本菜生美さんの案内で富山県のデイサービスを見学してきたのでレポートします。橋本さんは富山県出身で文京区100人カイギに登壇された際に「富山型デイサービスを作りたい」という話をされていました。高齢化社会の課題解決を日頃から考えている僕にはとても関心のあるトピックです。その橋本さんが富山を巡るツアーを企画するというので参加することにしました。
橋本さんたちは前日に車で富山に入ったそうですが、僕は初日に別のイベントがあり2日目に新幹線で富山駅まで行って合流しました。朝6時16分東京発の「かがやき501号」に乗り込み、富山駅に8時23分と2時間余りで到着です。意外と近いですね。
富山駅についてまず目につくのは路面電車です。WikiPediaを見ると開業は1913年と古くからある路線ですが、ドイツからライセンスを受けて製造されている最新型の車両が走行しているということで、鉄道マニアがわざわざ乗りに(撮りに?)来るそうです。年季の入った昭和っぽい車両も走っていて、そのコントラストは実に興味深いものでした。東京でも都電荒川線が文京区を避けるようにして(笑)走っていますが、だいぶ雰囲気が違いますね。
富山駅で埼玉から来られた小峰弘明さんと合流。小峰さんは埼玉の鹿手袋で「のら」というコミュニティカフェの大家さんをしている方です。こちらのカフェでもユニークな活動をしているそうで、近々見学に行こうと思っています。
ほどなく現地の若林朋子さんが迎えに来てくれました。若林さんは富山でフリーランスの記者をされている方で、橋本さんがTUMMYをオープンした日にも取材に来られるなど、とてもフットワークの軽やかな方です。橋本さん達と合流するまでの1時間ほどの間に富山の市内を車で案内していただき、呉羽山公園の展望台まで連れて行っていただきました。この時間は雲が多めでしたが、晴れていれば間違いなく絶景です。
この日最初の見学は富山型デイサービスの先駆けとなった「このゆびとーまれ」です。この施設は、看護師として病院に勤めていた惣万佳代子さんが「ベッドで管につながれた状態で死を迎える」終末期の医療のあり方に疑問を感じ、平成5年に病院をやめて開設した居場所です。
部屋におじゃますると、子どもや高齢者が思い思いのスタイルでごちゃまぜに過ごしており、誰が職員で誰が利用者かも分からないような状況です。障害のある人も働いています。子どもの頃ここで過ごして育ち、大人になってここで働くようになったのだそうです。障害がある人にとって育った施設で働けるというのはすごくいいですね。
部屋の奥には病床に寝たきりのご老人がいましたが、同じ寝ているにしても高齢者だけのしーんとしたグループホームより子どもの賑やかな声が聞こえる場所の方が安らぐのだそうです。確かにそうですね。
惣万さんのここまでの道のりは簡単なものではなく、それまでに無かったタイプの施設を行政が認可するようになるまでには大変なご苦労があったといいます。詳しくはご著書『笑顔の大家族このゆびとまーれ』という本に書かれています。今回は惣万さんに会えるということだったのでミーハーな僕はこの本を持って行ってちゃっかりサインを頂いてきました。
次にお邪魔したのは同じく富山型のデイサービス「おらとこ」です。こちらの代表の野入美津恵さんとは東京に来られたときにお会いして少しだけ話をお聞きしていました。古民家を改修して施設を作ったとのことですが、認可を取るためにはスプリンクラーが必要で新築が建つのではと思うぐらいの費用を銀行から借りたのだとか。そこまでして残したくなるという気持ちが分かるような、とても温かい雰囲気の建物でした。
お邪魔した時間はちょうどお昼時でキッチンからは美味しそうなお食事の匂いが漂ってきます。高齢者の方々がお食事前の体操をしていました。食事の前に軽く運動しておくと美味しく食べられ体にもいいそうです。いわゆる高齢者の介護施設ではなく、ご近所の家にみんなで集まって食事というという感じがとても良いと思いました。学校が終わる時間に子どもたちも来るということで駄菓子のコーナーがありました。橋本さんのTUMMYもこのあたりを参考にしているのでしょうか。
帰りがけに近くの川沿いの見事な桜並木を案内していただきました。道を挟んで向かいの広い土地に新たな施設を建てる構想を温めているとのことです。野入さんのパワーには脱帽です。
お昼ごはんを「源ますのすしミュージアム」で頂いて次はコニュニティハウス「ひとのま」へ。代表の宮田隼さんは不登校、引きこもり、就業困難など、さまざまな理由で困難を抱える子どもと若者をサポートしているそうです。親から相談を受けて子どもと話をする際に、どうやったら引きこもっている子どもと仲良くなれるのか、などいろいろな話をしてくれました。
お邪魔した時間には中学生ぐらいの男子女子達がこたつを囲んでおやつを食べたりゲームをしたりしていました。いろいろなものが居心地の良い感じにごちゃごちゃと置いてあります。驚いたことに二階には刑務所から出所して行き場所の無い人が住んでいるといいます。富山市周辺の刑務所で出所後に行き場所が無さそうな人がいると役所から宮田さんの所に連絡が来るのだそうです。
罪を犯して刑務所に入ってしまう人というのは、孤立しているからそうなってしまうのであって、居場所や仕事があれば普通に暮らせるのではないか、というのが宮田さんの考えです。このような活動に関して行政から何らかの支援を受けているわけではないといいます。凄いことです。
宮田さんが身元を引き受けた人は自立できるようになるまで「ひとのま」で暮らしているのですが、子どもたちや近所の人も事情を良く分かっていて差別などもなく仲良くしているそうです。これは宮田さんが地域で大きな信頼を得ているからこそできることですね。
1日で3件の居場所を見学したわけですが、この日だけで非常に多くのことを学びました。この学びを僕が本郷で運営している居場所「HONGO22515」に生かしていこうと思います。(竹形誠司)