JIBUNマガジンは2024年5月31日をもって終刊となる。自己都合ではなく、利用してきたウェブマガジン発行サービスが終了するためだ。2015年8月に発刊して以来8年10カ月。毎月欠かさず発行して106号に及び、自前の記事は半分ぐらいしかないものの、掲載記事は計713本。JIBUNマガジンを通してつながったご縁もあった。終刊を機に、この9年近い活動を振り返ってみた。
そもそもJIBUNとは
「自分で 文京 うちのまわりのネットワーク」の略称。2007年、保育園に子どもを通わせていた親たちが、行政任せではいけない、協働していかなければと、市民としての自覚を持ったことがきっかけで誕生した自主的なメディア活動だった。子どもたちが2歳児ごろ「自分で」と言い始めることから、市民も「自分で」の意識を持って身近な地域をつくっていかなくては、という思いが込められている。当初は動画を中心にした活動で、2007年区長選挙では、候補者に近い人物が候補者を動画でインタビューをするという画期的な試みを実施した。ブランクを経て2014年に再開、以来10年間、月1~2本は自前の記事を掲載し続けてきた。
マガジン発刊の経緯
お隣の荒川区で地域情報を発信している「荒川102」を取材したことが、JIBUNマガジン発刊のきっかけだった。当時の中里編集長の本業がIT系で、荒川102はPublishersというウェブマガジン発行サービスを使って月1回発行していた。無料で利用できることから、JIBUNもこのサービスを導入することにし、2015年8月号から、サイトのデザインも一新し、発行を開始した。(その後、荒川102はこのサービスの利用をやめて独自のサイトを構築した)。今回、Publishersのサービス停止に伴い、終刊を余儀なくされた。寄付的な扱いで、月221円ずつ払ってくれていた有料会員が、多いときで月十数人おり、年間のサーバー代程度はまかなえていたため、それがなくなるのは痛い。
「社外」コンテンツ
発刊当初から、「ご近所 茗荷谷界隈」の記事を月1本ずつセレクトして掲載させていただいてきた。その後「東東京マガジン」「護国寺ナビ」「タバタイム」など、主宰者の取材がきっかけでつながった近隣のウェブメディアからの記事を掲載してきたが、「茗荷谷界隈」と「荒川102」を除き、現在は更新停止となっているようだ。そのほか、2017年から「東京坂道ゆるラン」のサイトの「文京区の名坂」などから記事を使わせていただいたが、現在サイトは閉鎖。「続きはこちら」という形で、サイトへ誘導していたため、リンク先のサイトがなくなってしまうと記事が見られなくなる。「赤ちゃんとお出かけ情報局」は当時0歳のお子さんがいた方が書いた記事を創刊号から2016年秋まで掲載したが、現在リンク先は閉鎖されている。
「社外」筆者
JIBUNマガジン掲載のために、わざわざ書いていただいた記事もあった。編集長の元同僚で文京区在住で当時育休中だった現役新聞記者につづってもらった「イクメンと呼ばないで」(2015年10月~2016年6月)は毎回熱心に読まれたキラーコンテンツだった。JIBUNマガジン掲載後、朝日新聞の連載記事にもなった。ここに載っている赤ちゃんはすでに小学生で、弟もいるから、時が流れたことを実感する。
このほか「マチコのレシピ」(2016年9月~10月)、「子どもと☆いこいこ!」(2017年4月~5月)、「Wの育児日記」(2019年12月~2020年3月)は途中で途切れてしまったケース。区長選・区議選のタイミングで開いたイベントで知り合った高校3年生が書いたコラム「17歳のつぶやき」は誕生日後「18歳のつぶやき」とタイトルを変えて2019年5月~2020年2月掲載。高校と一緒に卒業していった。「写真と、私たちの日々のこと」(2021年2月~8月)という写真コラムもあった。そしていまは隔月掲載から季刊になったが、「OSAGARI絵本のよりみちにっき」を2022年1月から掲載中。これらの記事はJIBUNサイトで検索すれば今も読める。
ご縁とつながり
2016年ごろから近隣のウェブメディアとつながって何かできないかと模索し、ライター講座を開くなどした。2017年には文京区社会福祉協議会のフミコムで講座を開催。そこで稲葉洋子記者はじめ、JIBUNライターが複数誕生した。その稲葉記者が書いた「谷根もりばぁ」の記事に、「ワークショップを開く場所を探しているのでこの場所を紹介してもらえないか」と問い合わせがあったのが、富山市で「しゃみせん楽家」主宰する濱谷拓也さん。実は過去富山を旅した際に稲葉記者はしゃみせん楽家に立ち寄ったことがあり、ワークショップが実現した(過去記事に経緯が詳しい)。その後、コドモカフェオトナバーTUMMYの店主とも知り合いだと判明、コンサートも開催した。狸坂文福亭で定期的に三味線教室を開くなど、つながりは続いている。
また、閉鎖されて記事は読めなくなってしまったが、2021年12月号掲載の東京坂道ゆるランの記事「古地図で辿る大久保利通、最期のルート『紀尾井坂の変』」に対して、ある日問い合わせメールが来た。大久保利通が紀尾井坂で刺客に襲われ命を落とした経緯について書いた記事だったが、なんと、「紀尾井坂の変の時に大久保利通の従者をしていた唯一の生き残りの孫は、私の義父です」という内容だった。記事になるかという問い合わせだったが、研究者を紹介したところ、連絡を取り合ったとのことだった。
シリーズ
2020年4月から掲載した「新型コロナのまちウオッチ」シリーズは、手前みそながら良かったと思っている。こいのぼりが勢いよく泳いでいるのに、誰も歩いていない「ガラガラ東京ドーム」。遊具が縛られた公園。前代未聞のまちの風景を記録した。あとは苦しまぎれの「気まぐれ寺社探訪」「ギャラリー探訪」「クラフトビールめぐり」などのシリーズも。2022年にはワークショップへの参加がきっかけでJIBUN ZINEを作ってみた。
取材後すぐ閉店したケースもあるため、お店の場合、やっている人が面白い、思いが強いなど、人物に焦点を当てたいと考えている。子ども・子育てと、まち情報が主軸で、居場所やスペースや地域活動を取り上げることが多いが、「まち」のくくりならなんでもOKだ。取材して記事にする作業は時には苦痛だが、知らない人、知らない場所、知らない考え方に触れるのは勉強になるし、楽しいから、やめられない。この先の10年を見据えながら、これからもただひたすらに、続けていきたい。今後はJIBUNのサイトをよろしくお願いします。(JIBUNマガジン編集長・及川敬子)