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銭湯の外でも富士山が!「ペンキ絵ライブ」藍染大通りで開催

銭湯といえば富士山のペンキ絵。ということを知る人も少なくなっているのではないだろうか。銭湯はいまや絶滅危惧業種となりつつあり、東京都内では10年前の837軒から508軒へと激減中で(東京の公衆浴場の現況)、文京区内で残っているのはわずか6軒。失われゆく銭湯が地域で果たしてきた役割を見直し、記録や保存の活動をしている文京建築会ユースがこのほど、文京区根津の藍染大通りで、ペンキ絵師丸山清人さんと、庶民文化研究家の町田忍さんを招いて「東京の銭湯とペンキ絵ライブ」を開いた。銭湯に描くペンキ絵の小さい版を、路上で絵師がライブで描いていくというもの。通りがかりの人も鮮やかな富士山の絵に目を見張っていた。

丸山さんは昭和10(1935)年生まれ。いまや数少なくなったペンキ絵師のベテランだ。実際の銭湯ではトタン板やキャンバスなどに描くそうだが、この日は板にチョークでささっと下書きしたあと、ペンキの色合いをその場で調合しながら素早くどんどん描いていく。定番の富士山と海だ。

銭湯事情に詳しい町田さんの解説によれば、昭和30年代には銭湯専門の広告代理店があり、専属のペンキ絵師を抱えていたという。丸山さんもその1人だった。ペンキ絵は定期的に描き換えられるが、1枚を2~3時間、男湯と女湯の計2枚を1日で描いたものだという。「色も三原色だけで、短時間に一気に仕上げる」と町田さん。

ペンキ絵の定番は富士山、松、海または湖か川が入っている図。西伊豆や三保の松原が人気で、町田さんは「ペンキ絵の下に浴槽があるので、水は必須。まるで富士山で清められた水が浴槽に入って来るかのように見えるでしょ。湯気越しに見るから、色も濃い目」と解説する。タブーのテーマがあるそうで、サルは客が去る、紅葉は赤字で落ちる、桜はすぐ散るということで、普通は描かないそうだ。

町田さんが解説する間、丸山さんは一瞬の迷いもなく空を塗り、富士の稜線を一気に刷毛ですうっと描き、まっすぐな水平線を引き、水を塗り、島とその上に生える松をさささっと描いていく。鮮やかな手さばきで実に早い。色も三原色と白を配合し、雲や霞、光の当たり加減、波、松の葉などを瞬時に表現。あまりに手早いので簡単そうに見えるが、町田さんは「私は勝手に、空塗り3年、松8年、富士一生と言ってます」と言うように、最初はひたすら空塗りだけをやるのが職人の道のようだ。

しかし、もはやペンキ絵そのものがある銭湯も全体の4分の1ぐらいだそうで、ペンキ絵師も数えるほどしかいない。「最近は個人宅でも描いてくれる。うちにも富士山のペンキ絵があります。みなさんもどうぞ」と町田さんは言う。ペンキ絵師も絶滅危惧職種だ。

イベントを企画した文京建築会ユースの栗生はるかさんは「ペンキ絵文化に触れ、いかに銭湯が豊かな場であるか、こういう機会に考えてもらえたら」と話していた。岐阜県多治見市のモザイクタイルミュージアムでは文京建築会ユースの企画協力のもと、文京区千石にあった「おとめ湯」の壁面などを展示する特別展「東京の銭湯とタイル~おとめ湯をめぐって」が6月10日まで開かれている。


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