東京羽田国際空港。かつてここで陸上の世界記録が生まれたなどとは、誰も信じることが出来ないでしょう。
羽田競技場
明治四十四(1911年)嘉納治五郎は大日本体育協会を組織し、第5回近代オリンピック・ストックホルム大会へ、初参加となる日本選手団を送り込もうと画策します。スポーツに対する認識が低かった時代。競技ルールなど知らない日本人が手っ取り早く出来るのは駆けっこ競争ぐらいなものと、参加種目は陸上一本に絞られます。ところが、当時の日本には陸上競技用のトラックすらありません。
そこで嘉納治五郎は多摩川河口の埋め立てを進めている京浜電気鉄道(京浜急行の前身)に掛け合います。
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※この記事は「東京坂道ゆるラン」の「走れ!いだてん」に掲載されたものです。