Close

徳川慶喜邸と小日向の新坂(東京坂道ゆるラン)

徳川慶喜公、終焉の地と新坂の謎

徳川慶喜公、終焉の地 徳川慶喜公、終焉の地

慶喜公は駿府での長い謹慎生活を許され、明治30年、東京に戻られました。このとき尽力したのが元幕臣の勝海舟だと聞いております。

慶喜公は最初の4年間、豊島区巣鴨に住んでいましたが、屋敷の隣に山手線が通るというので騒音を嫌い、文京区小日向に引越しました。今の慶喜公屋敷跡は国際仏教大学の敷地になっています。

大学の門の前にひっそりと徳川慶喜公屋敷跡の碑が建っているのと慶喜公遺愛の大イチョウの木があるだけです。

ググったら慶喜公小日向邸の写真が出てきましたが跡形もなく変貌していますねえ。慶喜公は大正2年この地で亡くなったそうです。享年76歳、歴代将軍の中で最長寿だったそうです。

慶喜公邸

続きはこちら

※この記事は「東京坂道ゆるラン」に掲載されたものです。


Copyrights © 2007-2015 JIBUN. All rights reserved.
error: 右クリックはできません。