播磨屋の足袋職人・黒坂辛作は底を二重に補強した足袋二十足を、金栗四三に持たせます。
「播磨屋の足袋でオリンピックに負けたなんてぇ言われたら困るからなあ」
後援会、仲間たちが奔走。寄付をかき集め、足りない分は故郷の兄が工面。多額の参加費用もどうにか集まり、金栗は多くの人々に支えられます。
明治四十五年(1912年)五月十六日、金栗は大塚の東京高等師範学校から「送国際選手金栗四三君」と書かれた大きなノボリを先頭に、見送りの行列百数十名とともに徒歩で出発。
途中、二重橋前で皇居を礼拝、万歳を三唱して新橋停車場へ。
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※この記事は「東京坂道ゆるラン」の「走れ!いだてん」に掲載されたものです。