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ジャズ聴きながら伝統を灯し続ける/江戸指物展示館「谷中木楽庵」

台東区のコミュニティバス「めぐりん」のバス停「谷中霊園入口」すぐの路地。まわりは緑地が多い場所だ。ここに、「江戸指物展示館 谷中木楽庵」があり、多くの外国人観光客が訪れているという。大通りには「伝統的和家具 展示販売 江戸指物 ※喫茶も出来ます 谷中木楽庵」と書かれたシンプルな立て看板が置いてある。

店の前に立つと、入口左手には、店主の永尾茂久さんのご友人が作ったという大きな木の看板がかかっているが、その「谷中木楽庵」という文字の横には、実物のかんなが、貼り付けられている。看板の裏側にも。遊び心がいっぱいだ。

中に入ると、左奥は喫茶コーナー、正面突き当たりと右側に、ゆったりと江戸指物の家具や調度品が並ぶ。お店に入ってきたお客が、家具や調度品を、ひとつひとつじっくり味わって観られる配置だ。店内は、意外にも、ジャズが微かに流れている。店主の永尾さんの趣味だそうだ。

指物とは、金釘を使わず、外からは見えないけれど、「ほぞ」や「継ぎ手」を使い、優れた技術によって木と木を組んで作った家具・建具・調度品のこと。その技法も含め「指物」という。京指物、大阪唐木指物、江戸指物など、土地によってそれぞれ違いがあるが、江戸指物は、江戸時代の中頃に江戸の風土に合わせて作られ、簡素で堅牢な作りが特徴だという。生産は今の台東区あたりが特に盛んで、箪笥、文机、座椅子、鏡台、茶棚などの家具、硯箱、たばこ盆、手鏡などの調度品を、多くの職人が伝統の技術を引き継ぎ、今に至るまで作り続けられている。1977年5月14日に、「産業大臣指定伝統的工芸品」の指定を受けた。

店主、永尾茂久さんからお話を伺う。

40年前に、上野桜木に越してきて、店を開く前はサラリーマンだったという。「和家具が好きで、指物師の親方の所に遊びに行っていましたが、30年くらい前に、職人たちの間で、和家具は売れなくなっている、どうやってこれから食っていこう、という話が出始めていました」と永尾さん。

「ちゃぶ台や茶箪笥のような和家具が当たり前という中で育ち、この伝統の技を絶やしてはいけないと思ったんです。私の勝手な希望で、サラリーマンをやめて、指物を見てもらう場所が作りたいと親方にぼつぼつ話して、結果このような店になりました」。店を始めて20年になる。

生活の仕方がまるで違ってきていて、今のマンションは和室がない。「お客さんは、こういう家具を買うんだったら先ず和室を作らなきゃ、となってしまう。洋間にも合うことを知ってもらおうと、店を南青山のブティックのような設計にしてもらった。『和家具=和室』を打破したかったです。お金は無かったんですけどね」と永尾さんは笑う。

だからといって、和家具がどんどん売れるようになったわけではない。「これからの若い人の生活様式には受け入れられないだろうな。私も娘に箪笥くらいは残してやりたいと思ったけど、いらないって断られました。乱暴に扱うなとか傷をつけただの、父に言われるのは嫌だって」

戦後にアメリカから大量生産大量販売というやり方が入ってきて、サイズがぴったりでなくても妥協して買う代わりに値段は安くなった。さらに今はコンピューターや3Dプリンターで何でもできてしまう時代。「人間が作ると高いので3Dプリンターで作れば、となっていったとき、抗えないですよね。コンビニができて特にお年寄りが便利に使っているのをみたら反論できないのと一緒です」

しかし伝統工芸品は受注生産のスタイルを守る。どういうところでどういうふうに使うかを聞いて、サイズもぴったり作ることができる。値段も客の予算。同じ物を作るのに手間をかければ10万円になるけど、5万円で作って、と言われれば、材料や手間を調整して実用本位で5万円で作れる。「昔は大工さんもそこら中にいて、棚を作りたいんだけど親方やってよ、という風だったけど…ものの買い方売り方もすべて、今は変わっちゃったということですよね」

生活様式や売り買いのスタイルが変わり、伝統工芸品は売れなくなってきて、作り手も減ってくる。材料も減ってくる。結局値段が高くなる。高くなるから売れない。悪循環だ。「将来的には大変厳しい状況です。ですが、職人さんといっしょに、希望を持って伝統技術を伝承させていきたい。自分がやっている間は、趣味のジャズを聴きながら、この店はやっていくつもりです。ご多分にもれず、後継ぎは今のところいないんですけどね」。永尾さんは静かに語った。(稲葉洋子)


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