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「魔の坂」、いや「間の坂」を上がると緑濃き西日暮里公園へ

JR西日暮里駅近くの「西日暮里公園」。駅に隣接というか駅の上方にあるというか。飛鳥山から上野へ続く台地を道灌山通りが切り通す形になっていて、公園はその切通の際、台地の上にある。駅の改札を出て左折、不忍通り方向すぐの曲がりくねった坂道「間の坂」を上り切った右側に公園の入り口がある。「まのさか」の名を初めて耳にしたとき、「魔の坂」と思ってしまったほど急な坂だ。

「西日暮里公園」はいつどうやってできたのだろう。

一帯は、江戸時代の中頃より「日ぐらしの里」と呼ばれ、荒川(現隅田川)の雄大な流れや筑波山、日光山の山々を見渡せる景勝地として庶民に親しまれており、四季折々の花を楽しむ人々で賑わっていた。明治7年(1874年)、この一帯が旧加賀藩前田家に売却されて、現在の西日暮里公園は前田家の墓地となった。長い間墓所であったが、昭和47年(1972年)に国許の金沢に墓地は改葬され、翌昭和48年、墓地の跡地は「西日暮里公園」となった。

江戸時代には太田道灌の砦に荷を運んでいた舟人が目印にしていたという舟繋松(ふなつなぎのまつ)の碑や、滝沢馬琴筆塚の碑などがこの跡地にあったが、今では麓にある青雲寺本堂前に移されている。

そんな歴史の名残が反映されているのか、こじんまりしとはしているが、大きな木がいっぱいでその間を抜ける小道は土のまま、とても落ち着いた雰囲気だ。高台にあるということもあり、ベンチに腰をかけていると、真夏でも涼しい風が渡る。ここで一休みして、谷根千めぐりをスタートする人もいると聞く。

園内の遊具は鉄棒とブランコだけだが、鉄棒は低いものから、体操の選手でも使えそうな高いものもあり、他の公園にはない特色だ。今は禁止されているが、十数年前までは、この鉄棒にドラゴン花火をくくりつけ大きな打ち上げ花火のように見せて地域の子どもたちと楽しんでいたのは懐かしい思い出である。

どちらかというと大人好みの公園かと思われがちだが、この「西日暮里公園」では毎月第2日曜日10時から15時まで、荒川冒険あそび場(主催=荒川冒険あそび場の会、通称:あらぼう)が開かれていて、近隣の親子でいっぱいになる。高い木に登ったり、ロープわたりをしたり、木の車で園内を走りまわったり、子どもたちが自ら責任を持って遊ぶ。

公園内には、冒険遊び場の会が遊具などをしまっておく小屋が建てられているが、小屋の屋根に上り腰かけて遊んでいる子どもたちもいる。

また、駅側のフェンスの際に大きな椎の木があり、秋には椎の実拾いが楽しめる。炒って食べると美味しい。(稲葉洋子)


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