神田佐久間町は江戸でも有数の火事多発地帯で江戸っ子たちは「神田あくま町」と揶揄するほど。
明治維新直後の明治ニ年(1869年)ここで発生した外神田大火は約1100戸を焼いてしまいます。時代が変わり江戸から東京と名前が変わっても火事は依然として悪しき名物。これを重く見た明治新政府は焼けた町を火除け地とし、火の神・火産霊大神(ほむすびのおおかみ)、水の神・水波能売神(みずはのめのかみ)、土の神・埴山毘売神(はにやまひめのかみ)の三柱の神をお祀りした火鎮めの社、東京府社「鎮火社」を建立します。
明治17年(1884年)東京図測量原図より鎮火社の火除け地。
ところが……
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※この記事は「東京坂道ゆるラン」に掲載されたものです。