家に見立てた封筒が被災地へ、世界へ/思いを交換できるアートプロジェクト「封筒の家」

 「封筒の家」は被災地へ、世界へ、旅をする。2011年、文京区在住の版画家のツツミエミコさんが、封筒を家に見立てて版画作品をつくったことがきっかけで始まったアートプロジェクト「封筒の家」。ワークショップでつくった封筒の家はメッセージが入っていて、次のワークショップの場所で交換される。東京で、岩手県大船渡市で、インドで、ワークショップはさまざまな場所で開かれるようになり、「旅先」も広がった。ツツミさんは「若い人がどんどん入ってきて、自然な循環が生まれている。自分の力を何かに使いたい人が集まってきている」と話す。
ステンシルで封筒の家をつくる
 トントントン。文京区根津の築100年以上の長屋の一つを改装して文京建築会ユースが開設したコミュニティースペース「アイソメ」で7月、穴を開けてインクを詰めていく「ステンシル」という版画技法で、子どもたちが封筒の家を作っていた。参加者はまず、過去に開かれたワークショップでつくられた封筒の家の中から好きなものを選ぶ。思い思いにデザインした封筒の家をステンシルでつくったあと、自分の封筒の家と選んだ封筒の家を交換するしくみだ。会場の一角には、前回以前のワークショップでつくられた封筒の家が、「ハゴロモ」と名付けられたオーガンジーの入れ物の中で、風に揺られながら選ばれるのを待っている。
以前のワークショップでつくられた封筒の家。交換されるのを待つ
 2011年、東日本大震災のあと、大作を作る気になれないでいたツツミさんが思いついたのは、封筒を家に見立て、この家に笑顔になれるものを入れよう、というアイデアだった。それは「乾杯の家」と題して作品展に出展。その後、大船渡に実家のある友人から、「子どもたちがつまらない思いをしている。楽しくなるお祭りを開催したいのでそこでワークショップをしてほしい」と言われたことから、東京で「被災地のために何かしたい」という人を集めて封筒の家ワークショップを開催。100軒分つくり、5月に大船渡に持って行ったら、大好評だった。それがこのプロジェクトのスタートだった。その後も「大船渡やっぺし祭り」で繰り返し開催され、封筒の家は単独でも色々な街へ旅をするようになった。
 被災地は当初、無彩色だった。色がない。あえて絵の具や封筒は鮮やかな色を選んで持っていった。最初のころは鮮やかなそら色の封筒がやたらと選ばれたそうだ。高校生や大学生ボランティアが手伝ってくれていて、旅立とうとする封筒にヘリコプターの羽根のようなパーツをつけてくれた。被災地のどこでも展示できるようにと、「ハゴロモ」を設計したのも学生だ。その設計図を元に六本木のブティックが支援として制作して寄付をしてくれた。
プロジェクトは多くのクリエイターズに支えられている
 2年ぐらいした頃から封筒の中に入れていた一言メッセージが、「頑張って」「元気を出して」など形骸化した文言だけになってきたので、「好きな音楽を尋ねれば、世代やこだわりが出る。音楽が嫌いな人はいない」という学生の提案で、CDが入るサイズの封筒を以来手作りすることになった。そのうち、高校生は大学生となって各大学に散らばり、サポート体制がつくられるようになった。これまでに東京都立工芸高校、岩手県立一関第一高校、玉川大学、早稲田大学、武蔵野美術大学、東京大学、日大芸術学部、実践女子大、東洋美術専門学校など十数校の学生がかかわってきた。被災地だけでなく、台湾やインドなど海外からも声がかかり、ワークショップを開いている。被災地と結ばれた多くのまちで交換された封筒の家は1500軒を超えた。
ワークショップでできあがった封筒の家
 「被災地のために何かしたいけどどうしていいかわからない、という都会の人の思いを、小さなことで良いから表現に変えて運ぶという気持ちで、動き始めたらどんどん走っていった。今では交換から交流が生まれ被災地を超えたコミュニケーションツールになっている」とツツミさん。かかわっているクリエイターのグッズを販売して材料費に充てているが、交通費や人件費もとういわけにはいかない。手弁当のマンパワーの連携で続いている。ワークショップはどこでも開催することができる。
 問い合わせはfutohouse@gmail.com