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明治五年九月十二日(1872年10月14…
宮内庁へと登る坂の坂下にある坂下門。幕末…
桜田門外の変の十三年後、明治六年(187…
都心の平地に突き出た山、愛宕山は、その高…
時は元禄十五年(1702年)12月14日…
鎌倉街道の関所があったという宿坂を登り、…
頼朝伝説と堀部安兵衛の新宿区早稲田、太田…
いつもはお江戸の昔を探しているわけですが…
お江戸東京は家康入府以来、開発されていっ…
秋田蘭画とは、秋田久保田藩の人々か描いた…
そもそも桜、ソメイヨシノが一般化したのは…
戦前の東京への修学旅行といえば、帝都銅像…
日比谷公園の小音楽堂の北側にある不思議な…
徳川慶喜公、終焉の地と新坂の謎 徳川慶喜…
明治初期の地図を眺めていて、ふと、目に入…
神田佐久間町は江戸でも有数の火事多発地帯…
皇居のお堀端につづく東京屈指の美しい坂「…
明和の三美人といえば、浅草寺内楊枝屋「柳…
近代日本画壇の美人画の巨匠のひとり、鏑木…
ときに、立ちすくんでしまう絵があるもので…
明暦の大火以降、千代田城田安門外の九段坂…
江戸伝来の浮世絵とは違う、リアルな明治初…
千代田のお城・皇居は戦前、宮城とか明治宮…
お江戸の頃はお月見の名所と謳われた九段坂…
一日でも早く欧米の文化、建築水準に追いつ…
ご維新後、新政府は近代国家としての体制づ…
まるで明治のファッションブックから飛び出…
お江戸の坂道を研究していて驚くのは幽霊坂…
三菱財閥の開祖・岩崎彌太郎は、明治十五年…
オリンピック・パリ大会に惨敗、現役を引退…
大正十三年、関東大震災の翌年、帝都・東京…
大正十二年(1923年)九月一日午前11…
「きっとドイツは蘇る、このご婦人たちの明…
大正九年(1920年)五月十四日、十三名…
大手町・読売新聞東京本社前には「絆」像と…
ベルリン・オリンピックの中止が決まり、大…
ストックホルム・オリンピック後、嘉納治五…
播磨屋の足袋職人・黒坂辛作は底を二重に補…
黒坂辛作は明治十四年(1881年)の兵庫…
東京羽田国際空港。かつてここで陸上の世界…
体育を奨励する東京高等師範学校(現・筑波…
明治四十三年(1910年)十九才の金栗四…
東京大学本郷キャンパスの敷地はもと加賀藩…
「東大に入ろう、試験無しで」などと言われ…
小布施坂を調査中に、偶然、見つけてしまっ…
壱岐坂下交差点。壱岐で想像すると「壱岐守…
後楽園駅前、礫川公園のトンネル跡。これは…
ワトソ子くんがネット上で騒いでいます。 …
慶応四年(1868年)5月15日(新暦7…
靖国神社の大村益次郎像は一体どこを見てい…
講安寺の隠居地である称仰院の庵を無縁寺と…
歌川広重画「小石川にしとみ坂の図」。 犬…
東京・文京区傘谷坂のサッカーミュージアム…
東京というところは殆んどの場合、江戸の古…
文京区本郷の菊坂は下町情緒と数々の文豪の…
新宿区の外苑東通りの焼餅坂、市谷柳町交差…
幕末の匂いが濃かった三百坂、伝通院で「清…
FBグループのメンバーの方から教えていた…
これといった事件もなく、いつものように…
毎年梅雨の時期「あじさい祭」で盛り上がる…
巷では、なんでこうなるの?というように理…
三百坂は、小石川伝通院の西側に位置し、な…
茗荷谷の谷筋からお江戸の情緒が濃い藤坂を…