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戦犯裁判にかけられた東京四大銅像(東京坂道ゆるラン)

戦前の東京への修学旅行といえば、帝都銅像巡り。靖国神社の大村益次郎像、上野公園の西郷隆盛像、皇居前広場の大楠公そして、神田須田町万世橋駅前の広瀬中佐・杉野兵曹長像が定番のコースでした。

都心の鉄道史跡「波乱万丈な甲武鉄道と万世橋駅」 万世橋駅前の広瀬中佐・杉野兵曹長像。

帝都・東京初めての銅像は、明治二十六年(1893年)大村益次郎像でイタリア留学で彫刻を学んだ大熊氏広作。二番目が明治三十年(1897年)の西郷隆盛像で高村光雲・後藤貞行コンビの作。三番目が明治三十三年(1900年)同じく高村光雲・後藤貞行コンビで大楠公・楠木正成像です。

東京三大銅像。

これらの銅像は武器製造に於ける技術向上を目的としていて陸軍の砲兵工廠や海軍工廠で制作されます。以後、明治政府の元勲、軍人らの功績を顕彰する像が100点以上制作され銅像ブームがおこりますが、和気清麻呂像を最後に、銅像は新たに制作されなくなります。銅像どころではない戦争が始まったからです……。

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※この記事は「東京坂道ゆるラン」に掲載されたものです。


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