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消えた軍艦行進曲記念碑(東京坂道ゆるラン)

日比谷公園の小音楽堂の北側にある不思議なスペース。場違いで奇妙な獅子頭の装飾、不自然な石積み……この石垣の中には碑の残骸が含まれていると云います。戦前、ここには「軍艦行進曲記念碑」が鎮座していましたが、二年ほどの短命でその姿を消してしまいます。

記念碑建設の経緯

瀬戸口藤吉 瀬戸口藤吉

昭和十六年(1941年)十一月八日、軍楽師・瀬戸口藤吉が死去します。雑誌「吹奏楽」では「瀬戸口藤吉翁を偲ぶ」という特集を組み、その中の対談で、彼の業績を記念する碑を建ててはどうかとの提案があります。瀬戸口藤吉は日本人なら誰でも知っている「軍艦行進曲」の作曲者です。軍艦行進曲記念碑というのはどうだろう。場所は日本で初めて軍楽隊が演奏した日比谷公園。その楽譜と山本五十六連合艦隊司令長官の揮毫で「軍艦行進曲」の題字を、と勇ましい意見が飛び交い、その日の内に「軍艦行進曲記念碑建設会」が結成されます。

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※この記事は「東京坂道ゆるラン」に掲載された記事です。


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