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青島左門展その2。天井桟敷な16日間

芸工展参加の「青島左門展」をひょんな経緯からわが家1階の狸坂文福亭で開くことになった。そうしたら青島さんを取材に来たJIBUN編集長から、「日々どんなことが起きているのか」のレポートを発注された。「D坂の殺人事件」さながら、2階から見下ろして顛末を書こうと思ったのだが、、、16日間はあまりにあっという間。抱腹絶倒の爆笑集にはなりそうもなく、マジな内容も含めていくつか心に残ったエピソードをつづる。

生活感あふれ、人が見つけにくい会場

青島さんのお母様と知り合いだったというご縁で、今回の話が持ち上がった。下見に来て、ほぼ即決だったようだ。なぜ、こんな目立たない場所で、しかも上に私たちが住んでいるのにと、何度も理由を尋ねた。

「作品は日常の中から作ることを大事にしているので、展示する会場は日常のあるスペースに」という。

「2階で私と孫が喧嘩していていいんですか?」「ぜひ」

「入り口を何度も出入りしますよ」「どうぞ」

生活感があるところがいいそうだ。路地にあり、人が見つけにくいが、これまでの展示には来場者を並ばせたら尻尾を見る頃には頭を忘れるほどの行列ができることがあったらしい。

松の木の記憶

会場は入口正面に松の木がある。そのため、ドアは外側に開けず、内側に開くように作られている。以前は、アトリエと庭があった。建て替えのとき切るはずだった松の木を「やっぱり残したい」とアトリエの主だった父が言い出した。しかし工事はすでに進んでいて、結果、松の木がドアの正面に。

青島さんは、「そういう経過ではないかと予想していました」と笑う。「会場を決めるのに、この松の木があったのが大きな決め手でした」とも。「新しい建物で、同じような場は他にもあると思いますが、ここは、この地域で営まれて来た生活や歴史を記憶している松の木がある。そんな記憶を感じ取れるような場所で絵画展をしたいと思いました」という。

話を聞きながら、青島さんの作品に目が移る。芸術作品というものは、松の木と同じなのではないだろうか、ふとそう思った。

初日に台風直撃

開催初日の10月12日、台風が関東に上陸、作者でさえ会場に来られない一日に。

しかし、絵を預かっている身は気が気でない。大きな美術館とは違い、コンクリート打ちっぱなしの壁は、雨音が強まるにつれ湿気を帯びてきていた。もう絵が心配で仕方がなく、電話で了解をとり、絵をはずして壁から離すことに。ドキドキしながら作業。無事に終わってほっとする。

翌13日、青島さんと一緒に絵を壁にもどす。ご本人は、案外きっぱりさっぱりとあまり気にせず作品を扱っている。「絵に気をつけてくださいね」と思わず私が言ってしまうくらい。「絵に対する責任の持ち方」がきっぱりさっぱりに見えることにつながっているのかも、と推測する。

雨の日、絵を一緒に外した家族はその後、アマチュア美術展の作品の搬入出のアルバイトをしている。なるほど、効用か?

しかし、開催早々、オープニングの料理をめぐって家族と電話でやりあう声を青島さんに聞かれてしまった。イベント時に「料理人」をしてくれる家族が「台風だから人は来ないのでは」と言うので、「保存できる食材を買って出せば」と言ったら「バカヤローこちとら料理人だあ、乾き物みたいなもの出せるわけないだろう」と喧嘩に。電話とはいえ、やりとりの内容は想像できたのだろう。下から青島さんが「乾き物でいいですよ~」と声をかけてくれて、妥協案がまとまった。やれやれ。

著名人が続々

早い段階で、「壁ごと買いたい」という話があったと聞いた。著名な方々も大勢来訪されていたようだ。若山美術館の館長、大手出版社や広告代理店の方、美術家、音楽家、新聞社などメディア関係者、国立天文台の方。テレビで見たことがある元政府高官の姿もあった。お知らせの葉書を送ったのは200人ほどとあまり多くはないそうだ。「観た人からの評判をきいて、来てくださる方が増えることを期待しています」と青島さん。期待通りになっていたのではないかしら。

具体的でないとつまらないので、最初に来場した方と最後の方をご紹介したい。

台風の翌日、朝一番に見えられたのは、同じ美術家のJim Hathawayさんとそのご家族。青島さんが谷中でお地蔵さんを展示した時にお世話になったという。

会期中最後に駆けつけてくださったのは、太田治子さん。ご自身の最新刊をもって見えられた。どんなお話をされたんですか、と青島さんにあとから聞いたら「日曜美術館のようなやりとりをしました」といたずらっぽく笑った。小説家太宰治のお嬢さんである太田治子さんは1976年から3年間、NHKテレビ「日曜美術館」の初代アシスタントをつとめていた。

ギャラリートークと三線ライブも

ご友人の、ユキへぃ(福永幸平さん)のさんしんライブが10月16日と23日にあり、前後に青島さん作の絵本と紙芝居の朗読があった。22日には、子どもたち対象の「ギャラリートーク」も。絵の飾られた空間ではしゃぎ回る子どもたち。ぶつかりそうではらはらするのだが、いつでも嬉しそうに青島さんはシャッターを切る。何が生まれるかわからない空間がおもしろいという。ギャラリートークでは「なぜ虹の色に白がないのですか」という質問が出て、「子どもは鋭いですね」と感心する。

小さな発見や発明

写真の小さなテーブルは、私の父が絵の具の台にしていたもので、油絵の具が拭いても取れずに残っていた。最初の頃は隠していたが、来場いただいた美術関係のお客様から、「おもしろいから、見せるようにしたら?」と提案があり、後半はわざと見せるように置いていた。光を増やしたり減らしたりできるライトが文福亭には備わっていないため、青島さんがシリコンを使って明るさを調節するという工夫が生まれた。なにかが「足りない」というとき、必ず発見や発明が起こるのもとてもおもしろかった。

他にもいろいろあるが、きりがないのでこのくらいに。

今、狸坂文福亭は貸し会場として、初めての絵画展という役割が終わり、日常の活動に戻った。ヨガ教室に参加して壁に背を向けて立ったとき、背中からバラに見つめられている気がした。壁が絵を記憶しているのかもしれない。(稲葉洋子)


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