公園とひとくちに言ってもいろいろな種類がある。児童遊園は遊ぶことを目的として造られたものであるが、公園と呼ばれる場所は、体や心を休める人々の憩いを目的に造られたもの、だからといって公園にも遊具はあるし児童遊園だって憩いの場所になるのだが。
今回の取材は、文京区千駄木3丁目12番地にある「駒込林町公園」、通称「狸山(たぬきやま)公園」だ。近くの小学校や幼稚園の親子が大勢遊びにきたり、保育園児のお散歩コースだったり、夕方近くになると中学生も集まって楽しそうにお喋りしたりする、まさに憩いの場。遊具だってブランコ、すべり台、お砂場など4種類ある。
坂道にある公園なので、園内の地面を平らにするために、斜面の低い方をブロックで持ち上げているが、小学生くらいになると、ブロックの上の柵をまたいで外側に出て、忍者みたいに、友達に見つからないように、木の後ろに隠れたりしながら一回りする冒険は、何十年も続けられている遊びだ。大きな桜の木がぐるりと柵に沿って植えられ、桜だけではなくすずかけの木などもあり、小さな公園ながら、大人にとっても憩いの場所だ。ベンチに腰掛けると風が心地よい。
この場所、今の千駄木三丁目は、旧駒込林町(昭和40年までの町名)で、公園の前の案内板を見ると、地名が頻繁に変わっていったのがわかる。上野寛永寺建立の後は、徳川家霊廟用の薪材をとらせていたが、延亨3(1746)年開墾して畑とし、その中に宅地を設けて「御林跡」と呼ばれ、下駒込村に属していた。明治2年独立して、駒込千駄木林町となった。同24年、元下駒込村のうち、団子坂、上笹原を併合する。同44年には千駄木を取り駒込林町と改称された。案内板にはさらに、「高村光雲、高村光太郎、宮本百合子が住んでいた」と書かれているのが興味深い。
ふーん…あれ? タヌキはどこへ行った? どうして「狸山公園」?
公園の表側の入口に面しているのは、狸坂と呼ばれる坂だ。少し下ったところに、狸坂の説明掲示板がある。掲示によると、「このあたりは、旧千駄木林町で、昔は千駄木山といって雑木林が多く、坂上の一帯は、俗に『狸山』といわれていた。その狸山に上る坂なので、狸坂と名付けられた。狸山の坂下は根津の谷で昔は谷戸川(藍染川・現暗渠)がながれて田んぼが開け、日暮里の台地と対している。この日暮里に諏方神社があり、8月27日の祭礼が終わっても、どこからともなく「狸ばやし」が毎夜聞こえてきた。土地の人たちは、これを千駄木山の“天狗ばやし”とか“馬鹿ばやし”といって、狸山にすむ狸のしわざと言い伝えてきた。民話にちなむおもしろい坂名である」とある。
千駄木山と呼ばれる山があったころから、坂の上一帯は「狸山」といわれていたというが、今でもこの地の公園は、「駒込林町公園」より、「狸山公園」の方が、この地域の人にとっては馴染める呼び方だ。どこかで見たか聞いたかしたのだが、月が二つ出ていて、一つは実は狸で、鉄砲を放ったらびっくりして狸の方は坂道を転げ落ちていったという話や、愛染川に下る坂は荒れていて、転んで下駄の鼻緒が切れると死ぬとか、そんな伝説が残っているようだ。私も転ばないように気を付けている。(稲葉洋子)