東京メトロ千駄木駅から三崎坂へ進み、文京区と台東区を分けるよみせ通りへ続く道を左折、少し進むとすぐの右手台東区側に、「指人形笑吉」の幟旗とたくさんの人形の写真が並ぶ立て看板がある。奥へ進むと、さらに3本の幟旗が。そこには「指人形笑吉」の工房があり、その右側に主宰者、露木光明さんのご自宅がある。
露木さんは小学校3年生から谷中の住人。子どもの頃から絵を描くことが大好きだった。群炎美術協会展で入選してから本会員となり、「谷中絵画教室」をご自宅で開いた。油絵を描いて、賞も取ってきたけど、「自分の作品が全然面白くなかった」という。人形を作ったら、「あ、自分はこっちだったんだ」と思った。
2000年に「指人形笑吉」を発表。絵画教室では工作もやっていたが、その一つで粘土の人形作りをした。「そしたら自分がはまっちゃいました」と露木さんは笑う。「最初はサンプルとして見ただけで笑っちゃうような面白いものを作っていたのですけど、そのうちいろいろな表情を作るのがものすごくおもしろくなっちゃってね」。人形は老人の方がいい味が出るという。最初の頃から、おじいちゃんおばあちゃんが多い。「老人が笑っているのは平和な感じがする。こういう風に生きたいね」としみじみ。
工房の入口横のガラスケースには、笑顔の老人の人形たちがいっぱい。年中行事に集まって談笑している構図だろうか。
中に入ると、すごい数の人形たちに圧倒される。歴代首相たち、知り合いから届いたのか、はがきを読みながら嬉しそうなご夫婦、「老婆の休日」というタイトルの2人のおばあちゃんがスクーターで飛ばしている人形、坂本竜馬の像、お寿司を囲んで楽しそうに笑い合う3人、湯上りに縁台で話がはずむご近所さん、新年に晴れ着でお客さんを迎える家族は、よく見る歌舞伎のセットと同じ造りの部屋に集まっている。
部屋には富士山の掛け軸が掛かっているなど芸が細かい。相合傘の2人、「だるま落とし」で遊ぶ2人、「言わざる、見ざる、聞かざる」の三老人、酒を酌み交わす旧知の友、写楽、ラブレターを女性に渡す男、お辞儀をしている女性たちを下から鏡に映すと、「あかんべえ」をしている人形たちなどなど、まだまだたくさんある。タレントの人形も数多いが、「笑福亭鶴瓶さんがひょっこり訪ねて見えた時、自分の人形があったのでびっくりしてました」と愉快そうだ。
衣装も粋な着物ばかり。もともと婦人既製服の縫製工場をやっていた家なので、布がいっぱいあるのだそうだ。細部まで丁寧に作られた小道具は、粘土のものはすべて手作りだ。人形が写メを撮っているスマホ、葉書、ぎっしり並ぶお寿司など、とても丁寧に作られている。
ショートコントの人形劇は、観客が2人いれば上演してもらえるというので、この日は友人を誘って行った。1日7公演あり、一公演30分の中で、ショートコントが11演目上演される。観劇料金は1人700円だ。指人形といっても、親指、人差し指、中指で頭と両手を操るもの、高さは35センチほどあるだろうか。
演目の中で、一番人気は、「五十年後の『冬のソナタ』」。あの一世を風靡した韓流ドラマ、ぺ・ヨンジュとチェ・ジウが演じた『冬のソナタ』の50年後。普通のじいさんばあさんになった2人が、ごくあたりまえの日常に生きる笑いのコント。
「ウォーターボーイズ」は、青い布を使って、水上に美脚を出してポーズを取るが、最後に頭を出すとみんなボーズ頭のおじいさん、ウォーターボーズ、というコント。他のコントもどれも爆笑ものだ。希望すれば舞台上で人形が水彩絵の具で、観客の似顔絵を描いてくれるが、こちらは1000円。中指1本で描くという。
仕事のうち半分は、写真を預かって似顔人形を作ること。注文はすごく多くて2年待ちだった時代もあるという。今も1か月から2か月待ちだとう。代金は4万円。
「人形本体は石粉粘土で作って、アクリル絵の具で着色しています」。人形作りのコーナーで、露木さんの説明を聞く。「似顔以外の時は自由で、粘土をいじっているうちに表情が生まれてくる」という。表情は能面や文楽や糸操り人形の影響を受けているか聞いて見た。「オリジナルで作っているので、伝承されたものはないですね」と露木さん。オリジナルだから好き勝手になんでもいろいろなことができる。「普通の人形劇は長いストーリーがあって、あまり表情は作らず、動きで表現しますが、指人形の場合は表情は大事。ショートコントなので、笑ったら笑ったままで終われるようにしています」。人形の置台や服などはまとめて用意しておき、1週間あれば一体できる。
人形作り教室はないのだろうか。「以前に大人対象ですけど人形作り教室やったことがあるのですけど、忙しくてできなくなっちゃった。やってほしいという人が何人もいるので、またやろうかなと思ったけど忙しくて無理ですね」と残念そうだ。
出張公演もやっている。近場では岩槻の「人形まつり」に、3月3日に参加。今年も3回目のご招待をいただいたという。「人形劇まつり」で有名な長野県飯田には、17年続けて行った。遠いところは舞台セット、人形すべて車の積んでいくのだが、年齢を重ねてだんだん厳しくなってきている。一昨年が最後と考えていたが「また来てほしい」というアンケートがたくさん集まっている。
せっかくのこの技術をぜひとも伝統として残してほしいと感じたが、「自分一代で終わります。オリジナルで作ってるので別の人が作れば別物になっちゃう。自分で考えるものは伝統的なものじゃないですから」と露木さん。なんだか、もったいないなあ。(稲葉洋子)
※2024年3月15日(金)NHK「カメラ・アイ」(10:55~11:00)に出演。4月25日(木)11:30~「ひるまえほっと」でも放送予定だという。
指人形笑吉工房:台東区谷中3-2-6
営業時間:10:00~18:00
休館日:月・火 ※祝日は開館