大正九年(1920年)五月十四日、十三名の選手、役員二名の(庭球の二人と嘉納治五郎団長はアメリカで合流)オリンピック日本選手団はコレア丸(Korea丸)に乗り、横浜港を出港。アメリカ大陸を横断、ロンドンを経由して、ベルギーのアントワープを目指します。
大正九年(1920年)五月十五日付東京朝日新聞より、横浜港にて。左から金栗四三、辰野監督、野口源三郎、三浦弥平。
謎の男・池辺四三
海外渡航には、もちろんパスポートが必要。金栗四三のパスポートには「池辺四三 SHIZOU IKEBE」と書いてあります。
「えっ!金栗先生!本名は池辺なんですか⁉︎」
「そうだよ、養子に入ったんだよ」
とニコリと笑う金栗。
ごくごく身近な親類しか知らなかったことがパスポートから明るみに出て一同ビックリ。
このあと、さらに驚くことが起こります。
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※この記事は「東京坂道ゆるラン」の「走れ!いだてん」に掲載されたものです。