ドアは8センチ開ける。飲食禁止。エロい、グロいは見ない――。ルールの張り紙をしても、破る子がいる。「シャワールーム攻防戦」とでも言えようか。
小学校や保育園や公園に囲まれた北区滝野川の都営住宅の1階にある子どもの居場所「ピノッキオ」。「定年後は自分が暮らす地域で児童虐待防止をやりたい」という川名はつ子さんの思いが2020年夏に形になった場だが、「誤算」もあった。
児童館や学童クラブがなくなり、行き場を失った近くの小学校の子どもたちが放課後どっと押し寄せ、意図せず放課後クラブができてしまったのだ。シャワールームは、いじめられたり、お風呂に入れないなどで服や体が汚れた子がシャワーを浴びて着替える場として作ったのに、いまや子どもたちの恋バナが花咲く格好の秘密基地に。「油断も隙もなくて、物置にも相談室にも勝手に入るからカギをかけとかなきゃ」と笑う川名さんのまなざしは温かい。
異色の経歴の持ち主だ。出版社勤務からスタート、博士号(医学)を取り、社会福祉士の資格を取り、定年時は子ども家庭福祉を専門とする早稲田大学教授だった。2005年に早稲田大学里親研究会を立ち上げ、今も代表を務める。子どもの権利条約の普及や、里親を広める活動にも力を入れている。
職場は遠かったので地域の情報はあまり入らなかったが、あるとき美容院で、お年寄りがまちでかかわった親子について話しているのを耳にし、ネグレクトではと思ったことがあった。身近にも事例があると感じた。「虐待は起きてからでは遅い。地域のおせっかいで予防したい」。里親研究会の活動をする中で、虐待発生後の対応の困難さを痛感してきたのでなおさら、地域で予防的活動をやりたいと思った。
定年退職した2019年、物件探しから始めた。子ども食堂をやりたかったので、キッチンが必要だ。家賃や広さなど、なかなか条件にあう物件が見つからない。あきらめて、公共施設のキッチンを月2回借りて始めようと考えていたとき、子どもの権利条約についての勉強会で、社会貢献に関心がある不動産会社とご縁があり、元中華料理店だった現在の場所を借りることになった。(経緯についてはこちら)
店舗も設備も老朽化していたので、貸主である不動産会社がスケルトンにしてくれた。退職金をつぎ込んで床から壁から全面改装した。建築デザイナー河津あつ子さんの設計、施工は自身もアーティストである成田宙之さんが手がけ、内装に熱帯森林保護団体の環境フォーラムの会場で使った木材を再利用。「ところどころ明るい色が使ってあるのがいい」。机の下には子どもが潜り込むだろうからと、絵が描いてある。
フリースペースとキッチンなどが約20坪、ほかに物置や事務室兼相談室がある。賛同者と共に一般社団法人を立ち上げ、コロナ禍の2020年8月、月2回の子ども食堂と、学習支援事業から開始した。その後、子育て中のママたちが集える子育てカフェ、外国人向けの日本語教室などの支援、レンタルスペース事業と次々に新たな試みをしてきた。
川名さんが一番やりたいと思っているのはよろず相談。学校のこと、家庭のこと、子どものこと、なんでも相談に応じて、必要な支援やサービスにつなげられるワンストップの相談機能を持つ。肢体不自由の理事がおり、週1回、ピアカウンセリングもしている。
地域に食堂や喫茶店がないことから、大人向けの食堂もやってほしいという要望があり、高齢者の食事処「ほっこり亭」を毎週火曜日に、月Ⅰ回、フリマと野菜や乾物のマルシェ(フリマルシェ)やギターや電子ピアノなどの伴奏付きで昭和歌謡を楽しめる日も設けられるようになった。最近、自主上映などでしか観られない映画をみようという「シネマ倶楽部」も立ち上がった。老若男女、世代も国籍も超えて集う場となりつつある。
それにしても支出ばかりで収入は――「助成金や寄付でまかなっています」。区のリサイクル清掃課や社会福祉協議会、地元の食品企業から米をはじめ調味料や食材、加工品などが集まる。教え子からも定期的に冷凍パンが届く。コロナ対策の消毒用品もすべて寄付。炊飯器などの電化製品も寄付で集まった。海外在住の理事が時々ブログで発信するとお金の寄付も集まる。定期的に国内から匿名の現金の寄付が届く。これまでにやってきた活動で生まれた豊富な人脈が人やお金や物を呼び、「なんとかやっていけている」そうだ。(敬)