対話の中で自分の考えをつくり、判断を/東京大名誉教授・石田雄さんが語る「親子で聞こう、戦争体験」

「軍隊には、命令以外のことばがなかった。考えることができなくなった」。92歳、学徒動員経験がある東京大学名誉教授で政治学者の石田雄(たけし)さんの言葉は重い。戦後70年。失われつつある戦争体験を未来へ語り継ごうと「親子で聞こう、戦争体験」の会が発足し、6月27日、文京区小石川の見樹院本堂で第1回目が開かれ、約50人の親子が集まった。

戦争体験を聞く会・見樹院

(会場となった見樹院)

 

石田さんは1943年、東京大学在学中の20歳のとき、学徒動員で陸軍に入隊。東京湾要塞重砲兵連隊に配属され、横須賀にいた。何をやっても殴られた。理不尽なことも、不必要なことも、「命令」なら絶対従わなければならなかった。45年春、米軍機からパラシュートで米兵が東京湾に降り、海岸へ泳いで来るという「事件」があった。捕虜は国際法上、殺すことはできない。だがもし、命令で殺せと言われたらどうしよう・・・石田さんは葛藤した。結局は海軍が引き受けたのでほっとしたが、「もし命令があったら、部下に命令しただろう」と言う。上から下への命令は、考える力を失わせてしまう。戦争経験で、その怖さを思い知った。

 戦争体験wo本(石田さんの近著)

 学生時代はマルクス主義に傾倒する「左翼」だった。ところが、三木清の著作で、資本主義の先鋒は欧米帝国主義であり、それを打ち砕くための大東亜共栄圏、という論説に共鳴。すっかり戦争の同調者となってしまった。東北に飢饉があるなど、世情も安定せず、不安と不満がすべて、欧米帝国主義や中国の貴族のせいにされる風潮が広がった。不満を敵への憎悪へと膨らませ、反対する者は抑え込み、10年のスパンで「愛国心」が醸成された。「誰もが、自分たちがつくった愛国心にしばられた。弱腰になってはいけないと、強硬論がいつも勝った」

戦争体験を聞く会2resize

戦後、茫然自失。なぜこうなったのか、知りたいと考え、政治学の研究者になった。「当時は情報統制がされ、世界の情勢がわからず、自分の頭で考えることもできなかった」。いまの日本は、戦争へ向かった当時の日本と似た空気が流れていることは否めない。「だけど、マスメディアの報道があり、個人は自由に発言でき、デモもできる。そして、戦後憲法という手がかりがある」と石田さん。

「どうやって自分の考えをつくり、発言するか、が大事。人に教わるのではなく、対話の中で自分で考え、判断する。その連鎖反応が重なれば、大きな声を出さなくても、流れができる」。対話はいつまでも続けられる。「戦後70年生きてきた責任として、命ある限り、次世代へ引き継ぎたい」