鳥取県智頭町(ちづちょう)は県の南東、岡山県に接する山の中にある人口8千人弱の町。かつて林業で栄えたものの、近年は急速な人口減少に直面している。ところが、「智頭町で子育てをしたい」と、移住者が続出しているという。いったいどんな町なのか。こどもみらい探求社の小笠原舞さんと小竹めぐみさんが2015年秋、「鳥取県智頭町 学びと癒しの2日間」という視察ツアーを企画し、保育士や教師ら普段から子どもにかかわる人たち約20人が参加した。
智頭駅に降り立つと、森の香りに満ち、思わず深呼吸したくなる。「みどりの風が吹く」という町のキャッチフレーズ通りだ。森林が93%、住める土地は3%しかないといい、かつては杉を1本売れば家族が養えたという林業の町。まずは旧山郷小学校を活用した交流施設「R373 やまさと」へ。新校舎になって15年しかたっていない2012年、統廃合により廃校になった学校だ。杉をふんだんに使った木造校舎は合宿や研修に貸し出されているほか、自家用野菜でつくる農家レストランや木工ギャラリー、お菓子工房としても使われている。
森しかない町、といっても過言ではない。そこにいかに価値を見出すのか、全国の過疎地が抱える共通の課題だ。智頭町は、「森林セラピー®」や「災害が起きた地域からの疎開」を、町をあげて売り出している。森林セラピーとは、免疫機能を上げる、血圧を下げるといった医学的な根拠に裏付けされた森林浴効果のこと。智頭町は2010年に癒し効果が実証された「森林セラピー基地®」として認定されている。町では研究機関と共同で、メンタルヘルスサポートのためのプログラムやスマートフォンアプリを開発し、2014年秋から「森のビジネスセラピー」として企業向けにも売り出している。森の仕事でチームワーク力をはぐくみ、民泊で生活を見直し、森林セラピーで精神の安定を図る、といった具合だ。
さらに、発想がユニークな「疎開保険」も2011年から売り出している。災害が起きたとき、ストレスの多い避難所から智頭町へ7日間「疎開」できるというもの。1泊3食7日分の宿泊場所を提供するという。1人年間1口1万円で加入でき、加入者には特産品の送付や森林セラピーや民泊の利用料半額などの特典がつく。町を訪れる動機付けにもなり、「自治体がやるのは自治体初」だという。町の正式なキャッチフレーズは「みどりの風が吹く疎開のまち」だ。
その自慢の森で「プチ森林セラピー」を体験してみた。失礼ながら、全国どこにでもありそうな普通の森、だ。しかし、ガイドと一緒にゆっくりと歩くと、見えてくるもの、感じるものが違ってくる。食べられる実を探したり、キノコを探したり。目を閉じ、前の人の肩に手を乗せて歩いてみる。後ろ向きに歩いてみる。五感で森に触れ、感じることができた。実際のセラピーウオークは、普通に歩けば30分ぐらいのところを2時間ほどかけて歩き、料金はガイド1人につき半日で8千円。追加料金でストレスチェックや弁当も付くという。
特別に、地元の人が地元の食材で料理を作って歓待してくれた。その場で取ったムカゴやキノコをその場でてんぷらに。野外で揚げるてんぷらは格別の味がした。
夜は民泊だ。町には旅館が1軒しかなく、年々増える観光客の宿泊場所がない。2009年に森林セラピー推進協議会が設立された際、一緒に民泊プログラムも立ち上げたそうだ。現在、受け入れ家庭は45軒。田舎の暮らしを体験するという趣旨で、普通のお宅で一緒にご飯を作って食べ、泊めてもらう。今回のツアー参加者は4~5人ずつの班に分かれ、5カ所に民泊した。筆者の泊まった民家は山奥にある川べりの旅館のようなお宅で、おかみさんが「今朝作ったのよ」という自家製のこんにゃくや、大根の入ったおでん、日本海でとれる「親ガニ」など、食卓には地産地消の品が並んだ。秋の土日は毎週のように民泊の予約が入っているという。知らない者同士が知らないお宅に泊まったわけだが、一緒に調理を手伝い、会話しながら食べ、布団を敷き、寝る、ただそれだけで、おかみさんやおやじさん、泊まった者同士の距離が縮まった。
翌日は智頭町山村再生課参事で観光協会専務理事の山中章弘さんが町について解説してくれた。まず、寺谷誠一郎町長がアイデアマンだという。1997年に就任し、「シンボルとなるものが必要だ」と、宿場町・智頭宿に威容を誇る石谷家住宅の所有者と交渉して公開を実現させた。交通の便の悪い山奥の板井原集落を整備し、古民家を改修してカフェをオープン。「地元で暮らすぼくらは全然良さがわからなかったけど、車が入ったことがなく、昔ながらの地割で昭和30年代の集落環境を残している」という。森林セラピーや民泊、疎開保険なども、町長のリーダーシップ抜きでは語れない。観光庁の「観光カリスマ百選」にも選ばれている。
しかし、それだけではない。97年に、住民1人ひとりが無(ゼロ)から有(イチ)への一歩を踏み出そうという運動「日本1/0むらおこし運動」を制度化。集落や地区それぞれが、特産品をなどをもとに収益を出し、地域経営をしていこうという趣旨で、住民が考え、提案したソフト事業に、10年間で300万円~600万円の助成金を出す制度だ。これが地縁型の制度に対し、2008年からはテーマ型の制度「百人委員会」が始まった。観光や林業、教育といった7つの部会の委員を公募し、住民自身が議論して企画・提案した事業に対し、町が予算をつけるというボトムアップ型のしくみだ。2014年度から、「達人を取材して本にする」といった中高生の提案も予算化して実現させている。
そこから生まれた事業のひとつが「森のようちえん まるたんぼう」だった。森のようちえんとは、北欧発祥の野外保育で、自然の中で子どもの自主性を尊重して保育する活動のこと。全国各地で取り組みがみられ、智頭町では、百人委員会で09年度に「智頭町に森のようちえんを作ろう!」と企画提案されて採択され、町が補助金を出して始まった。各地の森のようちえんは民間単体の活動がほとんどだが、行政と連携した取り組みは珍しい。
「まるたんぼう」は3~5歳児対象で、月曜日から金曜日まで9時から17時まで保育士らが預かり保育をする。園舎も日課も玩具もなく、一日の大半を森の中で過ごす。保育者は子どもの自主性を尊重し、「危ない」「汚い」「ダメ」「早く」を言わずに見守る。豊かな森の中での活動に魅せられて、鳥取県内外から移住者がやってくるようになった。2013年にはもう1園「すぎぼっくり」ができ、2014年の園児数は合わせて38人。うち移住家族が13世帯(14人)となっている。
山中さんは「森のようちえんが移住者を増やし、出生数を上げている。課題は職がないこと」と話す。また、地元の人は公立保育園に通わせ、森のようちえんに通わせる人が少ないという。「ここで生まれ育った自分もそうだが、森はあって当たり前の存在。普通に遊んで育ったし、わざわざそこに入って何かしようという気持ちが起こらないのかもしれない」。森林セラピーも、町外からたくさんの人が来るのに、地元の人が参加することは少ない。外から来た者は素晴らしいと感じる自然は、地元の人にとってはあまりに身近すぎて評価できないのかもしれない。
最後の視察先は麻カフェの「かろり」。町内14カ所ある「森カフェめぐりスタンプラリー」参加店のひとつだ。2014年に移住してきた漫画家さんが2015年7月、築100年以上の古民家を活用して開いた。麻は古来、衣服や食べ物に活用されてきた有用な植物だが、全国各地に残っていた麻の文化は失われつつある。智頭町では2013年、60年ぶりに麻栽培が復活しており、カフェでは麻の実を使った料理やスイーツが味わえる。
駆け足だったが、まさに「学びと癒しの2日間」。智頭町の先進性や人をひきつける魅力を理解することができた。根底にあるのは、人口減少と高齢化への危機感。行政も住民も、いま手を打たなければ町の存続にかかわるという危機感を共有しているようにみえた。一方で、「森」という価値を地元の人が認識することの難しさも感じた。「ある」ものに目を向けるのは難しい。近すぎて見えないものの価値をいかに見出すか。それは地方の限界集落の課題だけでなく、都会に暮らす者の課題でもあると感じた。
(及川敬子)