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写真と、わたしたちの日々のこと②3月11日

3月11日は仙台出身である私にとって意味のある日でした。

私は仙台や岩手で育った身として、「震災当時あの場にいなかった」という後ろめたさをずっと抱えています。

私の家族・親族は幸いにも怪我等は無かったものの、実際に’被災’していて、「私だけ」東京にいました。

それは「自分が何もできなかった」という思いです。

ただ、実際に被災された方、ご家族やお仕事を失った苦しみや悲しみがある中で

このような思いを抱いていること自体がおこがましいように思え、その気持ちは一人で抱えて過ごしていました。

メディアでは「あの日から10年」「もう10年」「まだ10年」・・・色々なものの見方で報道がなされますが

どれを見ても私は何も言えなくなってしまいます。

思えば東日本大震災が起こるまで、私は「生きている」ということにとてもとても無自覚でした。

自分が何を食べているのか、その食べたものはどこで作られたのか

それを買ったお金はどこに落ちて誰のものになるのか、どう使われるのか。

なんで東京で使われる電気が福島で作られていたのか。

なぜ投票に行かなければいけないのか、それが私たちのくらしにどう繋がるのか。

恥ずかしながら、私はそんなことを全く考えずに生きていたのでした。

10年という年月は経ちましたが、何かがいきなり終わったり変わったりするわけではなく

東北にルーツを持つものとして、今後も地元のことを考え続けられたらと思っています。

最後に、私が大好きな谷川俊太郎さんの詩を紹介します。

生きる<谷川俊太郎>

生きているということ

いま生きているということ

それはのどがかわくということ

木漏れ日がまぶしいということ

ふっと或るメロディを思い出すということ

くしゃみをすること

 

あなたと手をつなぐこと

 

生きているということ

いま生きているということ

それはミニスカート

それはプラネタリウム

それはヨハン・シュトラウス

それはピカソ

それはアルプス

すべての美しいものに出会うということ

そして

かくされた悪を注意深くこばむこと

 

生きているということ

いま生きているということ

泣けるということ

笑えるということ

怒れるということ

自由ということ

 

生きているということ

いま生きているということ

 

いま遠くで犬が吠えるということ

いま地球が廻っているということ

いまどこかで産声があがるということ

いまどこかで兵士が傷つくということ

いまぶらんこがゆれているということ

 

いまいまがすぎてゆくこと

 

生きているということ

いま生きてるということ

鳥ははばたくということ

海はとどろくということ

かたつむりははうということ

 

人は愛するということ

 

あなたの手のぬくみ

いのちということ

 

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千葉愛子|Aiko Chiba

1990年宮城県仙台市生まれ。​東京都文京区在住のフォトグラファー。

WEB:https://www.aikochiba.com

Instagram:@chaiko2328

 


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