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ダンボールの三味線で音楽を楽しく!富山市「しゃみせん楽家」の濱谷拓也さんが考案、しゃみせんBOX/SHABO(しゃぼ)

8年ほど前、富山市八尾の「おわら風の盆」を見に行った帰り、江戸時代の趣がそのまま残るまち並みを歩いていていたら、三味線屋さんを発見。店の名前は「しゃみせん楽家(しゃみせんらくや)」。いろいろな三味線や楽譜が並べられている中、ダンボールを使って作られた「三味線」に目を奪われた。それが、「しゃみせんBOX/SHABO(しゃぼ)」だった。私は一目惚れかつ衝動買い。その後、考案、製作者で店主の濱谷拓也さんとしばらくやりとりをしたが、「しゃぼ」はキットのまま棚ざらしに。

一方濱谷さんは「しゃぼ」を作ってみんなで演奏するというワークショップを富山県内、金沢市に続き東京でも開催してきた。数年前から文京区根津でも開催。最近、富山県の杉を使った和胡弓という楽器を作り、普及のために教室を開きたいと思い、根津に滞在中、たまたま「谷根もりばぁ」の前を通りかかり「ここで教室が開けたら」とひらめいた。ネットで検索したら、「JIBUNマガジン」の記事を見つけたとのことで、JIBUNに連絡をしてきた。編集長から連絡を受け、お名前を拝見し、富山の濱谷さんだとすぐにわかった。こういう偶然の再会はあまりない。

7月、根津の「ねづくりや」でワークショップ「気軽にしゃみせん体験」が開催されると聞き、さっそく出かけた。昼の部の参加者はご夫婦と親子の計5人。「みなさんに作っていただくのは、このような、ボディーがダンボールの三味線です」。濱谷さんが「しゃぼ」で、さらっと演奏してみせる。参加者から歓声があがる。

「まずボディーを組み立てていただいて」。ボディー部分のダンボールは折り目がつけられていて、組立てやすい。「組み立てたらシールを貼ってください。マジックで描いてもよいです」。みな思い思いに描いたり貼ったり、だんだん「マイ『しゃぼ』」になっていく。勤め先の社名をボディ一面にデザインした男性は、「みんなで社名をデザインした『しゃぼ』を並べて演奏して、会社の宣伝をしたい」と笑う。

「次に棹をさして糸を巻いていきます」。濱谷さんは、一人一人丁寧に回りながらアドバイスしたり手を加えたり。「夏休みの工作に使えるといいね」と濱谷さんが子どもに言うと、母親も「将来これ持ってボランティアで演奏できたらよいですね」と楽しそうだ。「あと駒をさして、譜尺を貼れば完成だよ」

「じゃ、『さくらさくら』を譜面を見ながら弾いてみようか」。弦は指でもよいが、ピックを使って弾く。「さくらさくら」はあっという間に弾けて、その後も、「ドレミファソラシド」を弾いてみたり、「となりのトトロ」をコードで合わせてみたりして、見事なミニコンサートの場となっていた。終了後は、みな出来上がった「しゃぼ」を大事そうに抱えて帰っていった。

濱谷さんは小学5年生の頃からギターを弾いていたという。「母親が三味線教室に通い始めて、付いていって横でみていて、家へ帰ってからなんとなく弾いてみたらおもしろいや」と。「だんだん三味線を弾けるような顔をし始めたんですよね」。転機になったのは中学2年。卒業生を送る会で地元の民謡「新川古代神」をみんなでやることになり、三味線演奏を頼まれた。2週間ぐらいのにわか仕込みで全校生徒の前で演奏。「ギターで味わったことのない大喝采」で、大成功だった。「自分には三味線の方があってるな」と感じた。しかし大学を卒業するまでは、三味線よりギターに取り組む時間が長かったという。

東京の大学を卒業後、地元に戻りタウン誌を作る仕事などをしていた。編集より文章を書く方が面白いと思い、32歳でタウン誌の仕事をやめ、フリーライターを8年くらい続けた。三味線は富山に戻った頃から本格的に始めていたという。「ライターもおもしろいけど、三味線の方が好きだわ」と、40歳で店を構えることを決意。「店を始めるのは一大作業なんですが、困ったりしたとき、思いや夢を口に出していると、協力してくださる方が出てきて助かりました」。お店の経営の財政をみてくれたり、三味線の皮の張り方を教えてくれたり。そして、41歳で完全に独立。もと洋服屋さんだった店舗をそのまま三味線屋にし、稽古場兼アトリエでもある「しゃみせん楽家」を開いた。

三味線教室を開いて10年になるが、子どもたちに人気だ。「このまちの子どもたちは、『しらっ』と素通りしない好奇心旺盛な子が多く、ちょいちょい来てくれて」と濱谷さんは振り返る。「高級な三味線ばかり並んでいると、子どもが触ると『ダメダメ』と言っちゃうんですよね。子どもたちにこそいっぱい味わってほしいのに。子どもたちにも安心して触ってもらえて、気軽に楽しんでもらえるものを考え、手作りしたのが『しゃぼ』です。こっちだったらいいよって」

ホームセンターで買った角材に穴をあけ、丸い棒を刺し、糸は三味線の糸を、ボディーは使い捨てカイロが入っている箱を使って作ってみた。たまたまその箱がダンボールだった。ダンボールだと中に空気の層があり共鳴するっていうことは知っていた。「ダンボールスピーカー」というものもある。「ダンボールボディー、角材の棹に糸を張ったらそれなりに鳴ったんで、子どもたちに『はい、これ触って』と渡して弾き始めた」のが「しゃぼ」の始まりだという。

そうこうしているうちに、三味線のおもしろさを「しゃぼ」を通して知ってくれた子どもたちが、ちゃんと習いたいっていうことで、親を連れてくるように。「なんか三味線弾いたっていってるんですけど、習えるんですか」と。輪が広がっていき、ちゃんと習うとなると、もう少し改良したものを渡したいと思い、三味線の特長である、ボディーと棹が分離するメリットを利用し、最初はダンボールのボディー、劣化してくると人口皮の樹脂を桐製のボディーに張ったものを使うようになった。「花梨(かりん)に張ったら、またお金かかちゃううんで、桐で」と笑う。「しゃぼ」はカスタマイズできる商品となっている。

それは三味線じゃない、という人がいるかもしれない。「でも子どもたちがそういう入口で三味線に馴染むのなら、それが正解なんじゃないかなあと思っている」。これで三味線人口が増えるなら、もっといろいろなところでやりたい。「楽器ってそもそも、身近な里山にある材料とかで作るのが原点で、高級な三味線も1回原点に戻し身近なものを使ってみたら、またおもしろいものが生まれてくる」と語る。

「ぼくにとってはたまたま得意分野が三味線だっただけで、真のところは、三味線を通して音楽の楽しさを伝えたいっていうことに尽きる」という。三味線やギターやウクレレ、それぞれ違う背景があって、三味線を好きでそこから音楽に入る人もいるし、またそれとは違う人も必ずいる。「子どもたちに与えられた選択肢のなかに三味線はあまりなかったので、それを知ってもらうだけでも僕が三味線を背負って音楽をやってるという意義があると思う。『しゃぼ』の普及を通して、三味線を入口に、音楽を楽しむ子どもたちを増やしていきたい」と力強く語った。(稲葉洋子)


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