「自分の武器はサラリーマンであること。ちょっと前は脱サラだったでしょ」
カウンター越し、うどんをゆでる湯気の向こうで出版社員の浜元信行さんはにっこり笑う。2023年1月11日。江戸川橋にほど近い沖縄料理店でランチ限定100食の「一日うどん店」を主宰した。店名は「BILLY・UDON」。名前の「信行」に由来するという。
自称「思い立ったら吉日男」だ。自分の衝動に任せて動く。「点をプロットしてるんだ」。それが何かのきっかけで線になる。面になる。かつてそう先輩に言われた。
真面目な会社員として
大学の教育学部を出たが、「このまま学校の先生になるのは嫌だ」と思い悩み、バックパッカーになってアジア放浪の旅に出た。帰国後、アルバイトで教材を制作する出版社に入り、社員になり、20年以上が過ぎた。「仕事が好き。教材だから世の中の役に立っているし、ものづくりだし。お堅い業種だからかえってあそぶ余地がある」
かつての教育は、決められた答えをいかに速く正確に求めるか 、いかに処理能力を競うか、がテーマの一つだった。しかし今の時代は違う。覚えるのではなく、調べ、自分で選び、取り組む時代。わからないとき、すぐ答えを見たり、無理だとあきらめたりするのではなく、他の方法で考えてみる。粘り強くがんばってほしい、という願いを込めて「OKRA(オクラ)」と命名した数学教材シリーズを手がけた。
「顔マラソン」の発起人
「仕事と遊びの境界をあいまいにする方がいい」
会社員は金を稼ぐ手段で、稼いだ金を遊びにつぎ込む、というのでは、稼ぐために使う時間が8~9時間、遊ぶのが5~6時間となり、無駄が多いと考える。「分けるのはもったいないので、どっちも楽しもうと」。仕事をする中で遊びのアイデアがわくし、遊びの中でも仕事のアイデアがわく。
マラソンが趣味で、「顔マラソン」の事務局でもある。顔マラソンとは、GPSの軌跡を使って大地に「顔」を描くマラソン。距離はどのコースも42.195キロある。タイムや順位を競うわけではなく、みんなでおしゃべりしながら楽しく走る。2011年に、東京マラソンに落選し、同じ日に1人で走っちゃえ、と始めたそうだ。
麦との出合い
SNSで知り合ったマラソン仲間で、大企業勤めで定年を前に農業を始めた人がいた。田畑を借りて土日に農業をして家族が食べるものを自給自足するとのこと。でも、耕さない不耕起の無農薬農業で、夫婦だけの作業では大変だからと、畝作り、田植え、草取り、稲刈り、脱穀、など作業をイベント化。そこに浜元さんも参加してきた。畑を見る機会もあり、そこでは大豆を栽培し、しょうゆやみそも作っていた。裏作で大麦を植えるんだ、麦は根を張るので畑を豊かにする、という話を聞いた。「その麦はどうしているんですか?」「倉庫に置きっぱなし」「大麦ならビールになるかな。使っていいですか」「いいよ」・・・そんな会話をし、小麦を植えてもよいと聞いた。
ちょうどそのころ、「腐る経済」という、岡山でパン屋をやっている渡邉格さんの本を読んで感銘を受けた。岡山で独特の経済圏を作り、ビールも作っている。「小麦でパンを作れるかな。ビールも作りたい」
うどんとの出合い
そんなとき、出張で広島へ行く機会があった。友人から「浜ちゃんが好きそうなイベントがあるよ」と知らされたのが、食べながら語り合う「生物多様性」のトークイベント。コーヒー店の店主と、うどん屋の店主が温室効果ガスをはじめとする環境問題について語っていた。面白かったので、翌日、うどん店を訪ねた。自分で麦を作り、粉にしてうどんに入れているという。広島のはずれにあるのに、人々が車でやってくる人気店だった。「普通は売上が増えたら営業日を増やしたりするでしょ。ところがその店主は、自分の時間を犠牲にして金を稼いでどうするの?という考え方なんです。もうかったお金は、店主が貯めこむのではなく、店主や家族や仲間との時間にさせてもらう、そういう考え方に感銘を受けて」
うどん屋をやろう、と思い立った。
お店できるかも?
もともと、実家は香川県で、子どものころからおいしいうどんを食べてきた。うどん打ち修業をしようと探したら、浅草のうどん店でうどん塾をやっていた。うどん文化の普及に力を入れており、月火土はうどん塾で、水木は店舗営業。1人ではやりきれないというので、ヘルプとして月3~4回厨房にも入った。それが、2022年8月のことだった。
うどん修業をしているうちに、おいしいうどんが打てるようになり、お店ができるんじゃないか、と思い始めた。自宅近くの行きつけの沖縄料理店が、「定休日に店を使っていいよ」と言ってくれた。カレンダーを眺めていたら、1月11日が「うどんっぽい日」に思えた。そこで100日前からインスタグラムでカウントダウンを始めた。うどん屋を開いた他の人がやっていたのを真似た。
看板は、マラソンで真鶴の海岸を走っていて、たまたま見つけたガラス工房の看板がかっこいいと思い、真似た。飯田橋のラーメン屋で見た、麺を入れる木箱が、粉まみれでボロボロでかっこよくて、それも使いたいと思った。そういえば実家でついた餅を木箱に入れていたっけ。連絡すると、あるよ、と送ってくれた。自作もして6個用意。ロゴ入りTシャツも作った。
絵画教室にも通ったことがあり、趣味で絵を描くので、自分で描いた絵のメニューも壁に飾った。
サラダうどん、やきにくうどん、うまい棒が添えられたジャンクうどんと、温かいかもかけうどんの4種類。当日お客さんはひっきりなしに訪れ、用意したうどんは完売した。
ほどよい「いい加減感」で
「9割が友人知人。娘と息子も食べに来てくれた」と浜元さん。完売したものの、収支的には赤字だった。「赤字でもうどん屋ができる。本業があるから収入の心配が少ないので」。脱サラしてうどん屋を開くとなると、単価を上げる、営業時間を延ばすなど、やりくりすることが目的化してしまう。「AかBの二項対立でなく、Ⅽでいいじゃない。本業の仕事も楽しみながら、遊びも楽しむ。どっちもやるから選択肢が広がる」
7年前からウクレレを始めた。キャンプ場でウクレレイベントをやり、うどんを打つ、なんてこともやってみる。月1万、投資をしてくれないかと呼びかけたら、応じる人がいることがわかった。自前のうどん包丁も作りにいってみた。あれもこれもだが、ほどよい「いい加減感」が大事だと考えている。「ふり幅がなくなると面白くなくなるから」。常に面白いことを求め続け、マラソンをしているような浜元さん。次はどこへ向かっていくのかな。(敬)
※先日記事にした「十条すいけんブルワリー」で出会ったのが浜元さん。裸足にビーサンが定番。写真は2軒目の板橋のクラフトビアバーにて。