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まちをなおす/築68年の古民家で「笑顔になれるおうちごはん」OKAERIを開いた濱彰子さん/震災を機に人とまちに目が向く

停電した街は真っ暗。2011年3月11日、濱彰子さんは気持ちも真っ暗なまま、不忍通りをとぼとぼ歩いて帰宅の途上にあった。深夜零時ごろ、根津の街に差し掛かると、あたりがパッと明るくなった。いくつか店が開いていて、中で客たちが談笑していた。「外は寒くて辛くても、中ではほっとする時間があるのだろうな」。お店を構えれば、そんな場が作れるかもしれない。

「笑顔になれるおうちごはん」。根津神社の裏手にある「OKAERI」(千駄木2-2-13)のコンセプトは、東日本大震災の夜の濱さんの経験が原点にある。あの日、あの夜、横浜にある会社から、何時間もかけて千駄木の自宅まで帰って来た。勤務先が横浜に移転し、夫も横浜勤務で、家族と過ごす時間を削って往復3時間以上かけて通勤する生活ってどうなんだろう? と思っていたところだった。人生も折り返し地点に立っていた。

年齢的に転職は厳しい。震災の経験から、家から遠く離れて仕事をするのも嫌だ。自分には何ができるだろうと考えた。料理なら毎日作っている。会社では社内のヘルプデスク担当として、人と毎日ふれあう仕事をしてきた。コミュニケーションの楽しさは会社勤めの中で学んだ。そうだ。お店をやろう。ご飯を食べられる場なら、お客さんは来てくれるんじゃないか――。そう思い立ち、家族に相談。会社には、早期退職制度があり、次にやりたいことがある人の場合は半年間、計画を立てる準備期間に使えた。やめると決めてから事業計画を立て、飲食店開業に関するスクールに通って勉強しながら、自宅近くの物件を探した。

同時期に会社を辞めた友人が、古民家物件を探し出してきた。もともとは二世代に渡って家族が住んだ築60年以上の木造家屋だった。傾いてボロボロだったのを、家主は当初シェアハウスにと考えていたようだが、もっと様々な人にこの家と触れて欲しいと思い、リノベーションしてスケルトン状態にし、貸店舗として借り手を探していた。

引き戸をガラガラと開けて中に入ったとき、なんともいえないなつかしさがこみあげてきた。床は土間だが、柱や梁は建築当初の木材そのまま。12月の寒い日だったので、不動産屋さんが持ってきた灯油のストーブがあり、そのにおいと相まって、昭和の民家の香り、がした。子どものころ過ごした家。「おかえり」と家族が迎えてくれた家。過去の思い出がよみがえった。家からは人が暮らしていた息づかいが伝わってきた。おうちに帰って来る、コンセプトとイメージがつながった。

「ここにしよう」。今なら立ち止まって考えただろうが、素人の無知さゆえ、家に惹かれる気持ちが強く、勢いで契約した。2014年12月のことだった。その後、商店街の理事に挨拶に行ったところ「あそこでやるんですか。大変ですよ」と言われ、「え、そうですか」という話になり、相談に乗ってもらった。

1階の設計や2階の内装は紹介してもらった建築士に頼んだ。自分の店の珪藻土塗りはなかなか経験できることではないので、家族4人で分かち合うため、総出で下塗りから本塗りまでやっていた。そうしたらイベントにしたらどうかと提案され、翌2015年のゴールデンウィークにイベント化したら、延べ23人もの人が来て手伝ってくれた。

壁を塗り、床板を張り、ビー玉を転がして平らになるようにしながら土間のコンクリートも打った。楽しさ半分、不安半分。「すべて、Okaeriを作り上げることに携わってくださった方々に教えていただいた。自分一人では何一つできなかった。たくさんの方々のお力添えがあったからこそ出来上がった」と濱さんは振り返る。同年7月に完成し、オープンした。

通りから路地を入った目立たない場所なので、毎日通りに出てビラ配りやポスティングをした。「人から聞いた」といった口コミや「たまたま見つけた」といって来る人が多かった。濱さんはもともと食べるのも作るのも好きで、発酵食品に関心があった。祖母がみそを手作りしているのを見ていたし、ブームになった塩こうじも作ってみた。家族で食べていたおうちごはんをベースに、野菜と発酵食品を使って発展させ、体の中から元気になれるメニューをめざした。日本医大病院の近所なので、通院する人や、学生さん、1人暮らしの男性など、4割ぐらいがご近所の方。客との会話の中で聞いた「素朴な感じがうれしい」「野菜が取れていい」といった声を反映させ、メニューを開発してきた。

これまでの7年、順風満帆なわけではなかった。軌道に乗るまで1年以上。その後も波があって、「もうやめよう」と何度思ったことか。しかしそのたびにマルシェ出店の話が来たり、大口の弁当販売の話が来たり、背中を押されるような話がやってくるので、「じゃあ踏ん張ってみよう」と続けてこられたという。コロナ禍では一時店内営業ができず弁当販売が中心になったが、テレワークの人が買いに来るようになるなど、収益は楽ではないがガタ落ちでもない。

「おうちのように、ここで食べてもらいたいという思いはあるけれど、提供の仕方が違ってもコンセプトは変わらない」と濱さん。「食べた人がおいしいと言ってくれるのが幸せ」。お客さんを裏切ることがないよう、喜んでくれるようにしたい。

子どもからお年寄りまでが食べられるように、味や刺激の強いものは出さない方針だ。昨年から、定年退職した夫もお店を手伝ってくれるようになった。現在お弁当は平日の昼と夜、土曜日の昼に販売し、平日の夜ごはん定食、土曜日の昼ごはん定食も提供している。また、2階は貸し切りやレンタルスペースとしての利用も可能だ。詳細はサイトで。(敬)


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