「団体客用の旅館として建てられたので、庭が広く、配膳などで両方向通れるよう廊下が広いのです」。明治・昭和に建てられた本郷の旅館「鳳明館」。建物は3つあるが、そのうちの一つが、森川別館だ。東京大学正門にほど近く、築約70年になる。一時は廃業が決まっていたが、地域の市民や企業の努力で存続が決まった。その歴史ある建物で6月に「若者×経営者」をテーマに「下町サミットin文京区2nd」が開かれた。
下町サミットは、経営者らの交流の場として始まり、23区持ち回りで有志が開催してきた。昨年は文京区で開催(過去記事参照)。その後文京HUB会議などで話し合いを重ね、事業承継による保存活用が決まった鳳明館森川別館で2回目を開催することになった。定員80人の大広間に90人が詰めかけ大盛況。まちづくりを考えるトークセッションでは旅館鳳明館の事業再生について、鳳明館代表をゲストに学生らが議論。もう一つのセッションでは「文京経済新聞」の活用について議論し、ゲストのみんなの経済新聞代表に学生がインタビューしてAIを活用して書いた記事を披露するなど、盛り上がった。経営者が参画するイベントだけあって、歴史ある客室を企業ブースとする「社長カフェ」を開催。参加者はグループに分かれて順番にブースをめぐり、経営者らと交流していた。
会場となった鳳明館森川別館は昭和レトロあふれる旅館。鳳明館については過去記事でも紹介しており、森川別館ではかつて「妖怪の宿」というイベントも開かれたが(過去記事参照)、コロナ禍の2021年に本館、台町別館、森川別館ともに休業。廃業して不動産会社へ売却することがほぼ決まっていたが、「文京建築会ユース」や地域有志の尽力で、地元の総合建設業「松下産業」が2022年に事業承継することになった。
建物内を、女将の大曽根美代子さんの案内で回った。大曽根さんは創業者の孫として、建物の歴史を見てきた。鳳明館本館は明治時代に建てられた下宿屋を改装した旅館で、登録有形文化財だ。隣接する台町別館は創業者の自宅を改装して旅館にした建物で、森川別館は少し離れた場所に団体旅行客向けの旅館として昭和30年に建てられた。「江戸時代は本多忠勝の屋敷だったところで、戦をくぐりぬけた徳川四天王の1人。ビジネス運気も高いという縁起があります」。大曽根さんの説明は滑らかだ。
かつて、本郷湯島界隈は下宿街、旅館街で、最盛期は500近くあったという。旅館業を営んでいたのは岐阜出身者が多く、鳳明館の創業者もやはり岐阜の「輪中」出身で、親族を頼って上京したらしい。木曽川や長良川、揖斐川が流れる岐阜の平野地には輪中といわれる堤防で囲まれた集落が多数あり、洪水の常習地のため、共同体意識や結束力が高いという。大曽根さんは続ける。「壊れたところしか直さなかったので、保存率が高いのです。和式便所も残っています。だから、昭和の『ザ・団体旅館』を今も楽しんでいただけるのです」
広い廊下の両側に客室が並び、明るく風通しがよい。「玄関の土間に使われている黒い石は、碁石に使われる石です。碁石に点在させた花柄に職人さんの遊び心が表れています」
「こちらの窓には狂言の透かし彫り。隣はトイレですけど、トイレの窓にも鳥のエナガと、柄(え)の長いひしゃくの透かし彫りがあるんですよ」。エナガと柄長(えなが)!
廊下の天井は船の底のような「舟底天井」だ。「水場のタイルも、場所によって全部違うんですよ」。本館に使った木は節のない立派な無垢材が多かったが、森川別館では端材や節のある木も使われている。特に見事なのは階段の手すり。「これも端材ですが、職人さんは上手に使っていますよね」
修学旅行などの団体で、校長先生ら上に立つ人が泊まる部屋は、廊下が一段上がっている。「桔梗」や「桜」など、部屋の名前も格が高そう。窓には桔梗が咲き、トンボが飛んでいる。
「末広」の間に案内され、天井をみてびっくり。「水車を再利用したようです。扇の末広のデザインですね」
ローマ風呂と千鳥風呂も案内してもらった。なぜローマ風呂というのかは、入れば一目瞭然。タイルの壁画がローマだ。
千鳥風呂の浴槽は千鳥の形。タイルが本当に美しい。
現在森川別館は旅館として使うには大幅な改修が必要で、宿泊はできない。しかし、「都内にいながら旅行気分」をうたい文句に、本館も含め、貸しスペースをしている。今回のようにイベントで広間を使う広間プラン、懇親会プラン、会議研修プランなども。有料オプションで「ガイド付き館内見所ツアー」もある。大曽根さんは「デイユースにて、旅館のスペースを色々な目的にご利用にお使い頂ければ幸いです。ご要望にお応えするように柔軟に対応させて頂きます」と話している。詳細はサイトで確認を。(敬)