千石駅徒歩2分、築70年の長屋の古民家に、古本とレコードを売る無人の店がある。その名も「ムジンレコーズ(千石4-46-2)」。会社勤めをしている近所の若者が2022年2月にオープンさせた。最初のころこそ赤字だったが、今は黒字をキープしているという。
「自転車で通りかかって見つけて、内見して即決でした」。店主の渡辺一行さん(31)は言う。家賃は6万円。大通り沿いのマンションの裏に隠れるように、ひっそりたたずむ。2階は床が抜けて危険なため使えないといい、1階部分の小さなスペースが店舗だ。出勤前に鍵を開け、帰宅前に閉める。営業は10時~22時、店番はいない。購入は電子決済で、店内はwebカメラで見ている。
店を持とうと思ったのは、「自分が好きなものが失われていくことへの危機感から」。本もレコードも大好きだが、書店数はこの20年で半減、レコード店も閉業が相次ぐ。ならば自分でやってみようではないか。「最高の現実逃避空間をつくりたい、と」
もうひとつ、自身のビジネススキルを試す場にもしたかった。これまで3回の転職を経て、現在はマーケティングを支援する会社の営業職。まちの店舗に「こうすれば売り上げが上がる」「こうすれば手間が減る」と提案する仕事だそうだが、自ら無人の店舗を経営し、売り上げの実績があれば、説得力があるというもの。実際、ムジンレコーズの実績をもとに、本業の仕事が増えるという相乗効果があるとか。
駅近とはいえ、前は砂利の私道だし、「1度は行けても2度と行けない」と近所の人にも言われるほど、わかりにくい場所だ。なにしろ、普通の民家の前に看板があるだけなので、扉を開けるのは勇気がいりそう。しかし中に入ると、狭いながらもソファがあったり、押し入れを改造した棚にはレコードプレーヤーがあったり。雑然と本が並ぶ風景も、なんとなく懐かしく、落ち着ける空間ではある。
一見アナログなのに、カメラの映像で来店した人の年代はわかるし、滞在時間などもわかるアプリがあるとかで、無人でもここまでできるんだ、という実例を見せつけられる場でもある。場所貸しや他団体が発行するZINEの販売、ムジンレコーズでのノウハウを生かした他社への支援などもしている。
店をイケてるところにし、千石エリアを震源地にイベントやワークショップで知名度をアップ、遠隔地と店舗をつなぐシステムを開発して全国へ。それが渡辺さんの運営方針だ。もともと、音楽フェスなどを学生時代から手がけてきた経験があり、9月には千石周辺の店舗やスペースなどさまざまな場を結んだ「ちいさな街の音楽会」を企画している。
大学卒業後バックパッカーをしていたときに滞在したタイ東北部のノーンカイが理想のまちだという。「昼間に起きて粥を食べ、ビールを飲み、寝る。ひろばでは誰かが歌っていて、漁師が魚を運んでくる。『働く』と『生活』が混じっている。祝祭的部分と日常がバランスよくある」。そんなまちを、千石のめざす姿に重ねているそうだ。
開店前後の苦労話は渡辺さんのnote「ごく普通のサラリーマンが無人のレコード屋(&古本屋)をやってみた」に詳しい。(敬)