頼朝伝説と堀部安兵衛の新宿区早稲田、太田道灌の面影橋、砦のような造りの寺社など、遠い昔の古鎌倉街道に想いを寄せ、観てきましたが、ここ金乗院前も街道色の濃い地であり、深い歴史に彩られています。
宿坂 中世の頃、「宿坂の関」と呼ばれる所が、このあたりにあった。この坂の名が、宿坂道と残っているのは、おそらくそれにちなむものと思われる。 “宿坂の関”は鎌倉街道の道筋にあったものといわれ、したがって、ここ宿坂はその街道上の地名と考えられる。古地図によると、鎌倉街道は現在のこの道より、やや東寄りに位置していたが、一応ここも鎌倉街道の名残りといえよう。 今から三百年ほど前、このあたりには樹木が生い茂り、昼なお暗く、くらやみの坂道として狐狸の類がとびはねて、通行人を化かしたなどという話もいまに伝わっている。
説明書きには「現在のこの道より、やや東寄り」と書いています。明治の地図で見ると、
明治41-42年(1908-09年)1万分の1測図。ブルーラインが古鎌倉街道。
東側(赤矢印)に崖があり、そちらの方に蛇行していたのでしょう。
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※この記事は「東京坂道ゆるラン」に掲載されたものです。